超リスペクト森村泰昌( 長文)
2017/08/22
なんて骨体なタイトルをつけたけど、やたら尊敬することになってしまった。
森村さんの著者を引用するので出典を明らかにというわけで、「踏みはずす美術史~私がモナリザになったわけ~(講談社現代新書)」と明記しておけば著作権とかの問題はクリア、できてるんだろうか?つーかすでに前回あたりに引用してる気が…‥。
誰か詳しい方で「そりゃまずいよ!」という方が居ればご指摘ください。以後前向きに気をつけます。
閑話休題。
森村さんは一流の教育者でもあるらしい。昨今の“個性偏重”のような社会に対して以下のようなことを言っている。
以下引用
個性を持たなければならない、他人のものまねではなく自分独自の考えを持とう、オリジナリティの欠如した美術作品は一流じゃない……。こんなふうに私たちは長らく教えられてきました。たしかに他人と違っていること、オリジナリティを持つことは、ひとりひとりの人間を元気にしたり、人間の文化を活性化したりするために、必要かつ大切なことではあるでしょう。しかしそれを強調しすぎると、競い合うことが第一目的になったり、利害の衝突が絶えなかったり、中心と周縁、支配と非支配の関係が固定化されたりしてきます。
私には、一方で個性、オリジナリティを強調する教育がなされ、その一方で宗教や習慣の相違や異なる政治思想を持つ国同士、人種問題などにたいして、ヒューマニズムをかかげた解決を望む姿勢がとられるというのは、矛盾しているのではないかと思えます。また、個性ある人間を作り出そうと提案しつつ、家族の崩壊を嘆くことにも疑問を感じます。「違っていること」ではなく「似ていること」こそ、強調すべきなのではないでしょうか。
引用おわり
ある意味オリジナリティ自体を商売道具とする美術家の森村さんが、あえて似ていることを「良いこと」であると前面に押し出しているのは、オリジナリティ(個性)とコピー(没個性)の間で成立するような作品を作り続けてきて、その二極よりも重要なことに気づいた結果なのではなかろうか、なんて、変に解説めくけど、とりあえず今の僕にはそう思える。
特に、個性ある人間を作り出そうと提案しつつ、家族の崩壊を嘆くというのは疑問、という下りには深く首肯させられた。
家族というのは言い換えれば「似たもの同士」が集まっている共同体とも言える。家族みんなが、同じ家に住み、似たようなものを食べ、似たような衣服を着、似たような時間に寝起きし、似たような場面で笑い合う、そして遺伝子で繋がっており身体的にもどこかしら似通っている。
そういう外の世界のいわゆる他人よりもはるかに強力な共通項の中で生き、また結びついているからこそひとつの共同体=家族であり得るのだ。
誰かひとりが、または全員が個性を謳い始めたとしよう。たとえば、母は「今日からご飯作るのやめた。全部インスタントにする。それが私らしい母親のあり方だと思う」と言い、父は「今日から家に帰るのはやめて会社の近くのカプセルホテルで寝泊まりする。それが仕事を第一とするおれの生きざまだ」と言い、子供は子供で「ぼくは友達の家を渡り歩いて暮らす。快く家に泊めてくれる友達がたくさん居るということは親友がたくさんいるということだと思う。親友に囲まれた豊かな人生、それがぼくのライフスタイル」、なんてことになれば家族など瞬時に崩壊してしまうだろう、というか崩壊して当たり前である。
そもそもそんなてんでばらばらの主張を言い合う者同士がわざわざ共同体である必要もない。なんて言うと個性というものを履き違えているとか言われてしまうかもしれないが、僕が思うに上述したふざけた母・父・子供の主張のようなものを、現在の日本では“個性”だと、堂々と呼んでいるように思えてならない。
その“似ていること”に関して興味深い話が他にもあったんだけど、それはまたの機会に書く。
あ、一応前回の続きを書いて置くと、森村さんは大学に入ってからも卒業したあとも絵がどうもうまくいかず写真に転向したらしいんだけどやはりうまくいかず(構図や光を決めたりしてシャッターを切るまでの時間が他の人の倍ぐらいはかかってしまいモタモタしてしまうそうである)、そんな時に発想の転換で「絵も写真もできる人はそうは居ないだろう」というわけで、自分の顔をキャンバスとして写真を撮ることを考えついたらしい。
しかもそんなことをしている人は他に居ないので、比べられることもなく必然的に私はそのジャンルで“一番”になったのでした、とのこと。
はー、とにかくは森村先生と呼ぶことにする。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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