能動的休息感
2017/08/22
道の真ん中に突っ立っている。
ゆっくりとあちらを見て、こちらを見る。
あるいはパトロールをしているようにも見えるが、決してそうではない。なぜなら、サンダル履きに灰色のスラックス、出っ張った腹にくたびれた白い肌着、それをスラックスに押し込んでベルトで締めあげたという出で立ちである。くわえて、わずかに乳首も透けているので、どちらかといえば取り締まられる側であろう。
それから、よたよたと、道路の端にある「お休み処」と書かれたのぼりの立っているベンチに腰掛ける。「それにしても、あれだ」と切り出す。お仲間だろう人が、「それだよ」と応じる。こちらも似たりよったりの出で立ちで、左右または上下を至極ゆっくりと見回している。
台東区の、しがない街角の光景である。どうやらのその親父は、というか”じいさん”と表現したほうが正しいだろうこの二人は、特にすることがない。つまり、暇で暇で仕方がないのである。
この人たちを、しょっちゅう見る。この道を通ると、たいてい居る。一人の時もあるし、二人や三人の時もあるが、とにかくは誰かしらが居る。そうしていつも辺りを見回し、”あれ”とか”それ”とかで成立する会話を繰り広げている。
それにしても、「お休み処」とは言い得て妙というか、皮肉である。おそらくは行政が、歩き疲れた”観光客向け”に設置したのであろう「お休み処」は、その目の前に住まっている老人専用の「お休み処」となっている。正直、家に帰って寝とけという話である。
しかし、毎日が休みで、休むところから一日が始まるという彼らの生活を考えると、この「お休み処」は特別な存在なのだろうと思う。
起きると、休みである。昨日も一昨日も休みだった。明日も明後日も休みである。というか、死ぬまで休みである。死んだら死んだで、そこからはまた永遠のお休みでもあるが、取り急ぎこの世でのお休みのことだけを考えて生きていかねばならない。もっと言えば、生きることは休むことなのである。
休まねばならない。能動的に、積極的に、力強く休まねばならない。しかし、それはいったいどのような休み方なのだろうか?
とりあえず、外に出てみる。「お休み処」まで数歩ばかり歩いて腰掛ける。つまり、休む。
そのような毎日のルーティンの中で、「ああ、これだ」という閃き、エジソンの言うところのインスピレーションが起こったとて決して不思議ではない。むしろそれは、99%の汗の果てに生じる必然であろう。
考えてもみてほしい。たとえば、家で休む。これは、非常に消極的な休み方である。家で座っていることは、そのまま休むことである。しかし、休みが常態化すると、いつしかそれは休みでもなんでもなくなる。生活において、「呼吸」や「まばたき」をスケジュールに組み込む人はいないのと同じである。
休みだから休む。これは、週2、3程度でも働いている者であればたやすい。しかし、死ぬまで休みという状態に置かれたとき、休みだから休むという行為はたちまちにして困難を極める。
だから、とりあえず、今日もどうにか目が覚めてくれたなら、外に出てみるのだ。朝日が白内障気味の目に染みる。今日も生きている。いや、まだ死んでいないといったほうが正しいかもしれない。足腰が痛む。しかしそれでも、「お休み処」に行かねばならない。存在証明を、今の自分のアイデンティティを更新し続けなければならないのだ。生きること=休むことなのだ。
「お休み処」までの道程の半ばで、右、左と確認をする。いつも通りで、異常なし。残りの道中を、踏みしめ踏みしめ歩を進める。やはり、足腰が痛む。この先、痛みはひどくなる一方で、やわらぐことはないだろう。ちょっと、先生に言って、薬を変えてもらおうと思ったりする。
そうして、ほうほうの体で「お休み処」に辿りつく。ベンチは、今日もベンチとしてある。ああ、くたびれた。ゆっくりと、腰掛ける。
休む。休んでいる。今日は休み。ずっと休み。休みだから、休んでいる。死ぬまで休み。その中で、私はいま、確かに休んでいるのだ。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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