育ちの問題と定義して

最終更新: 2017/08/22

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不愉快な記事を読んだ。不愉快で頭が熱くなった。
ザックリ要約すると、給食はマズいから廃止にしろ、子供に好きなものを食わせろ、とかいう内容。
嫌いなものを食べさせるのはよくない、とかいう。
その記事へは真面目な書き込みがたくさんあって、廃止賛成の意見も、まあわからないでもなかった。
しかし僕としてはあんなにおいしかった給食に文句をつけるなんて! そんな輩はおからに溺れて死ねっ! と、感情的になってしまうのである。
とりあえず僕が思う理想は、なんでもおいしく食べましょう、ということである。
完全個人的な主観で好き嫌いの多いやつは嫌いだ。あれも嫌いこれも嫌いとかいう奴の顔は馬鹿に見える。IQが絶望的に低いように見えてしまう。少なくとも密室で徐光液使って中毒になるタイプだ。言い過ぎ?いやいや、オーケー偏見、だ。
小学校のとき、クリームシチューが嫌いで食べれなくて居残りしてまで食べさせられているやつがいた。そいつはクリームシチューを一口、口に含んでは水で錠剤のごとく流し込んでいた。給食で居残りなんて、たぶん今なら大問題なんだろうな、なんて思うと時代は流れて変わってとめどないな、というかよくよく考えたらよくそいつはクリームシチューの日に休んだりしなかったなあ、と感心する。意外にもMだったのかしら。
なんだろうな、人が「マズい」という時の顔はひどく醜いと、少なくとも僕はそう感じる。トーストや魚を焦がしてしまったりしたのを食べて「マズい」とかいうのとは明らかに別ものである。
でも、思うんだよ。僕はこうしてギャーギャー言ってるけど、僕のそういう価値基準を作ったのは僕じゃないと。僕は成長していろんな意志を持ったけど、特に食の価値観については僕の意志は皆無に近く、すべて家庭環境なんだろうと。
夕食が何時で朝ご飯はなになにで弁当はコレしかないでしょ、というような価値観は家庭において刷り込まれる。
そう考えると、結論づけると、誰もどの家庭に生まれるかなんて選べないし、今から幼稚園あたりからやり直すわけにもいかないから、やはりいろんな人がいてしかるべきなんだろう。
しかし食の価値基準というのは意外なほど重要なものであり、結婚するときは自分となるべく近い人を選ぶんだろう、というか自分と食の感覚が近い人に好感を抱いてしまうのである。それはほとんど本能に近い。
となると結局はよく言う似た者同士が結婚し、似たような家庭を作り、似たような価値観を持った子が育ち、また似たような人を探す。
そんなことを考えると、とりあえず、戦争が無くなる気がどうしてもしない。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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