睡眠と永眠
2017/08/22
眠い。ほんとうに眠い。
どうしてこんなに眠いのだろうか。大げさではなく、眠すぎて死ぬ。少なくとも倒れる。頼む、私をちょっと、ほんのわずかでいいから寝かせてほしい。
人間、生きていれば年に数回くらいは、心身がバラバラになりそうなほどの眠気を味わうものである。
言うまでもなく、睡眠欲は人間の三大欲求の一つである。食欲もすさまじいものがあるが、睡眠欲も負けてはいない。むろん、性欲もまた空恐ろしい力を持っている。がしかし、それについて論じ始めるとまったく別の話になってしまうので、下世話な方の”寝る”とか”寝た”は置いておいて、純粋に”睡眠”についてである。
「眠ることは死ぬことと変わらない。ただ、目覚めるか目覚めないかの違いでしかない」というようなことを言っていたのは養老孟司だったと思う。なるほど、そう考えると、眠気は”死の誘惑”だとも言えるだろう。
実際、眠気は現実から非現実へと誘う抗いがたい力である。そちらへ行ってはいけないと頭ではわかっている。それで、伸びをしてみたり手首を回してみたりちょっとそこらを徘徊してみたりする。しかし、またすぐに麺類好きの日本人全員が一斉に麺をすすり上げたような吸引力で吸い込まれそうになってしまう。いや、非現実的な比喩ではない。実際、何十万人かが一斉にジャンプすることにより地震が観測されたという話もある。そう考えると、あるいは中国人が一斉に戸外で麺をすすることにより、PM2.5が解決しないとも限らないであろう。
それはともかく、たぶん、死ぬ時もこんな感じなんだろうなと思う。まだ死にたくはなくとも、お迎えという有無を言わさぬ力が、あの世へとぐいぐい引き上げにかかる。孫が小学校に上がるまではとがんばってみたりもするが、そのような願いや気力でどうにかなるような生半可な力ではない。眠気との戦いと同じで、このようなせめぎ合いを繰り返していると、心身ともに”へとへと”というほかはない、どうしようもない疲労困憊へと落ち込んでゆく。
周囲はがんばれだとかなんとか好き勝手に言うが、自ずと限界はある。身体と意識とが整合性を失い、頭部が吹き飛び四肢が散り散りになっていくような感覚に襲われる。
それは無力感にも似ているが、あまりにも圧倒的な力は、己が無力であることさえも認識させてはくれない。馬鹿でかい熊か虎にでも襲われたような感じで、ただ、わけもわからずなされるがままになるしかない。
楽しかったこと悲しかったこと嬉しかったこと辛かったことはもちろん、日々の生活の灰塵のような記憶たち――寝る前に歯磨き粉をつけた歯ブラシを口に入れた瞬間だとか、買ってきた納豆のパックを冷蔵庫にしまう場面など――が、頭の中で砂嵐のように渦巻く。その真ん中を、ぐるぐると回転しながら上昇してゆく。
耐え難い苦しみ。だけどそれは、現世にしがみつこうとするからこその苦しみなのである。いっそこの上昇気流に身を任せて昇っていけば、すぐに楽になるだろう。そういうことが、やけにはっきりとわかっている。でも、ここは会社で、仕事中なので、それではみなさんおやすみなさいと言うわけにはいかないのだ。
そうできたらどんなにいいだろう。がんばれー、がんばれー。懐かしい声がする。おや、あれは母校の小学校じゃないか。大好きだった太田先生もいるぞ。おーい、こっちにこいよー。あれは仲のよかった日野君だ。おう、今いくぞー。サッカーボールが転がってきて、私は夢中で走り出す。そして思い切り蹴っ飛ばす。右足がしなり、ボールに食い込み、空高く飛んでゆく。
いわゆる”まどろみ”でしかないのかもしれない。しかし、もしかするとそれは、この世とあの世に架け橋がかかっているような、あちらとこちらを自由に行き来できる神秘的な状態なのではないだろうか。
歳を重ねるごとに、あの世に遊ぶことが増えていき、いつしか橋が消えている。そうして晴れてあの世の人となる。たぶんそれが永眠であるのだと思うのだが、いまは取り急ぎ入眠とさせていただきたい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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