うな丼の定義

  2016/04/08

うなぎと言えば浜松である。

その浜松ではないが、一応は同じ県である静岡市に行った。しかし、地元住民にとっては確固とした線引きがあるらしい。というのも、土産物屋の店先で「静岡はうなぎが名物だったよな」と話していると、「あれは浜松ですッ」と、突然お店のおばちゃんに横やりを入れられたのである。

一観光客に過ぎない私に言われてもという感じであるが、おばちゃんの眼には浜松に対するルサンチマンがありありと見てとれた。「うなぎ」だか「うなぎパイ」だか知らないけど、静岡は「お茶」だよッ! あるいは「ちびまる子ちゃん」だよッ! 「さくらもももこ」は高額納税者なんだよッ! とでもいうような。

それはともかく、うなぎを食べた。浜松ではなく静岡駅にほど近いうなぎ屋で。おそらく例のおばちゃんに言わせれば邪道の謗りは免れないであろう。

開店の11時直後に、連れ合いとともに訪れた。実は前日も来てみたのだが、すでに閉店となっていたのである。それで明日こそはうなぎを食うのだと鼻息荒く駆け込んだのであった。

店構え、それから店内は、まあ、落ち着いた雰囲気と表現すれば事足りる感じであった。店員のおばちゃんも、日本人のふつうのおばちゃんだと言えばそれ以上の説明は不要であろうと思われる。

メニューを見やる。うな重もあるが、高すぎるので論外である。それで、うな丼の一択となる。それでもランクはある。並は1,500円、中は2,500円、上は2,950円であった。即決で並を二つ注文した。

けっこう待たされた。少なくとも牛丼が出てくるよりも待った。とんかつ定食くらいには待たされた気がする。そう連れ合いに不平を述べると、今じっくり焼いているのだと言う。まさか、私からすれば幼少の時分よりうなぎという食べ物は酒をふりかけてレンジでチンするものだという認識しかないのである。それで遅さばかりが際立って感じられるのであった。

ようやくで、うな丼(並)とお吸い物が運ばれてきた。おばちゃんがいかにも丁寧に配膳する。まあ、1,500円もするのだから当然といえば当然である。1,500円もあれば吉野家なら牛丼が4杯ほど食えるのである(2016年1月時点)。そう考えれば、牛丼4杯分の気持ちで配膳しなければ嘘であろう。あるいは、この配膳で万が一そそうがあったとすれば、吉野家でいうところの4人グループで来ていた客の目の前で牛丼4つをぶちまけてしまったのと同じことである。やはり、くれぐれも慎重かつ恭しく振舞うべきであろう。

さてと、丼の蓋を開けてみた。まず飛び込んできたのはうなぎではなく白飯であった。瞬間、これは”丼”じゃない。そう直感的に私は思った。確かにうなぎはあった。のっかっていた。しかしそのうなぎは、到底白飯を覆い隠せてはいなかった。

”丼違反”だと、私は思った。みっともなく白飯が露出している丼を、丼と呼んでいいものだろうか。冬のゲレンデで言えば、積雪が足りておらず山の地肌も露わなのにもかかわらず、堂々とスキー客を招き入れるようなものであろう。

詐欺だ。そう言えば、メニューからしておかしかった。並・中・上なんていうふざけたランク付けがあるだろうか。どう考えても並と中とは同義ではないか。たとえば、異性の美醜を評して「ひと並」と言うのと「中くらい」というのとは同じことである。違うというならば、それは言葉のまやかし、レトレリックの術中にはまっているに過ぎない。それでも中や上を使いたいのなら、下・中・上と正しく日本語を使うべきだ。並を使いたいならば、並・上・特上とすべきである。

つまり、これはおつむのよろしくない小市民をだまくらかすための表現に違いない。耳当たりばかりがいい、ガソリン税を環境税と言い変えるようなものである。騙されてはいけない。これからの時代を生き抜くには、ものごとの本質を見抜く目が必要なのだ。

これは断じて並のうな丼ではない。下のうな丼である。そして、あえて言うなら”白飯のうなぎ添え”に過ぎない。しかし、それもこれも、私が貧民であるばっかりに……憤懣やるかたない気持ちを押し殺しながら、私は白飯のうなぎ添えを口に運んだ。舌に触れるか触れないかのうちに、”うまい”という衝撃が体中を駆け抜けた。

たちまち、下でも並でもどうでもよくなっていた。夢中でかき込んだ。ときにお吸い物をすすり、ときにおしんこをかじりながら、ただただ、我を忘れてうな丼(並)こと白飯のうなぎ添えをかき込んだ。

うまかった。本当にうまかった。食べ終わったあとも、じーんと、腹の底に除夜の鐘のように響き渡る満足感があった。しかし、並でこれだけうまいのならば、中や上はどれだけうまいのだろうかと考えてしまうのが人間の欲深さである。

うな丼の中は2,500円、上は2,950円である。それぞれ牛丼7杯分と牛丼8杯分である。もしくは7、8人のグループで牛丼を食べにいけるというか、全員におごって恩を着せられるお値段である。それはともかく、まずはいちいち牛丼に換算することをやめることから始めたいと思う。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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