松永真のデザイン精神
2017/08/22
ひき続きフォントやロゴについていろいろ書いてある文字大全という本を読んでんだけど、やたら納得したとこがあったからちょっと引用。
「デザインは一人を納得させればいい」
マーケッターたちは千人を対象に市場調査をしてそのスコアに基づいてデザインしろと言う。だがそんな時代は20世紀で終わったと思いたい。21世紀は千人に影響力を持つ、たった一人を説得できればいい。傲慢で危険な物言いかもしれないが、千人に平均的に「いい」と思われるヒット商品なんてまっぴらだ。感度のすぐれた少数派に引っ張られることで、デザインのクオリティは上がっていくはずなのだから。
なんだろ、同じようなことをモリユウギャラリーの森さんにも言われた気がする。ああ、たくさんの人に見てもらうのが必ずしも重要ではないというのはこういう意味だったのか、な。なんて勝手に解釈。
でまあ今日引用した内容をそのまま行動に移すとしたら「レントゲンやミヅマや小山(日本のトップギャラリー)にウケそうな作品をピンポイントで“狙って”制作する」ということになるだろうか。
と考えると前々から樋口が言ってた「レントゲンを狙って作品作ってみよう」とかいうのも、実は思いつきのレベルではなく先見の明がある発想なのかもしれない、いや、内々で誉めあうのは気持ちが悪いしみっともない。
「ウケを狙う」とか言うと一部の(大半か?)揺るぎない信念や志向や思想や目的を持って作品制作を行っている作家たちに「そんな制作態度はアーティストとしての魂を売ってるようなものだ!!」 と怒鳴られるかもしれない。
しかしまあそんな奴らに僕としては「阿呆、自分の作品がしっかり売れてから言えよ」とつぶやきたい。作品が売れないなら魂でもなんでも売っ払って“生活”するべきだろう。芸術家も豆腐屋も“日々を生活し生きていかなければならない”という意味においてはなんら大差ない。
なんだろ、もちろん“売れることがすべてではない”ってのはわかる。しかし売れない現実を許容するために高尚っぽい理論を展開してくだを巻くのだとしたら、毎日毎日早起きをして大豆にまみれて冷たい水をかき回し“とにかくは生きていく態度がある”豆腐屋の方がよほど立派だし高尚なことではないか。
いや、とかなんとか言っても僕はきっと逆立ちしても豆腐屋を尊敬できず、小難しいいろいろを喋る芸術家を尊敬してしまうとは思うんだけど。
でも僕としては“しょせん画家”と思いたく“たかが絵画”と思いたく“アートの売り買いなんてインチキだ”と思っていたい。
別に反骨精神でもなんでもなく、ごく一般的な感情な気がする。お宝鑑定団にある観客の反応の仕方のような超俗物的な部分を掘り下げると、今日の僕のようになる、とは思わない?
いつか親戚に言われた「絵描く“だけ”でお金がもらえるなんていいねえ」というような発想って、たぶん理解するのに苦労はしない、というか容易く首肯できる。
またよくわかんなくなってしまった。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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