平凡である事が幸せという平凡さ
最終更新: 2017/08/22
本日は雨。昨日ジョギングしといてよかった、けど、実は結構今日も走りたいような気分だったりする。
朝ラジオでリスナーからの手紙を読み上げたあとに「平凡であることがどれだけ幸せか」、と、パーソナリティーが言っていた。
まあ月並みな言葉には違いないけどなんだか今日の僕は(ほんとかァ?)という気持ちになった、けどいま夜になって考えるとまあそういうもんだろうかなと思える。
平凡である幸せとは何かと考えてみると、たぶん“今”ということになる。まあ幸せと言えなくもない、今。
ああ、なんとなく朝の感覚を思い出した。平凡であることが幸せというのはなんだか理屈ばっているような気がしたんだ。幸せはたぶん言葉ではなくてそれで理屈じゃなくて漠然とした雰囲気のような感覚的なものだと、少なくともぼくはそう思う。
それでぼくが“まあ幸せ”と言うのは、絶対的ではなく相対的に考えて「まあ幸せ」というような表現に落ち着いてしまうというだけの話で、ひどく消極的なものだと思う。
平凡であることの幸せを感じるためには、この世界の中での自分の立ち位置を確認しなければならないと思う。退屈なほど平穏無事な毎日→近所や周囲はもちろん、この世界には様々な不幸が存在している→にもかかわらず自分の今日はまるで昨日のように何事もなく一日が終わる→ありがたいし、幸せなことだ、というような。
それのなにが悪いってわけでもないんだけど、さ。
またすごくいいなあと感銘を受けた一文があったから紹介しておく。
ブッダの教えに一夜賢者の偈(げ)と言う次のようなのがある。「過ぎ去れるを追うことなかれ。いまだ来たらざるを念うことなかれ。過去、そはすでに捨てられたり。未来、そはいまだ到らざるなり。されば、ただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。揺らぐことなく、動ずることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。たれか明日死のあるを知らんや まことにかの死の大軍と、遇わずと言うのはあることなしよくかくのごとく見極めたるものは、心をこめ昼夜怠ることなく実践せん。かくのごときを 一夜賢者といい、また、心しずまれる者とはいうなり」(中部経典、131)
今日ひとに、なんだか父親の雰囲気がある、なんて言われたんだけど、喜ぶべきか悲しむべきか、それともいっそ本物の父親になるべきか。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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