健やかなる病(発熱して思う健康について)

  2017/08/22

〈健康のありがたみ〉というものがある。それは、往々にして病気になって初めて知るという。

それはそうかもしれないが、〈病気のありがたみ〉というものもあるのではないだろうか。

というのも一昨日、風邪か何か、とにかくは発熱したのである。

夜、いつものように酒を飲んでいたのだが、どうもうまくない。楽しくもならない。むしろ頭が痛くなってきて、首の付け根が重だるい。それで早々に床についたのだが、今度は衣服や布団と肌のこすれるのがいやに過敏に感じられて、やはり痛むのだった。

絶対に熱がある。そう思った。体温計を持ってきて、熱を計った。しかし36.8度で、まったくの平熱であった。私は体温計が信じられずに、三度までも計り直した。しかし平熱だという結果は覆ることがなかった。

いぶかしがりながら、私はいつしか眠りについていた。それからふと目が覚めると、悪寒とともに、身体がはっきりと熱を帯びていた。どうして私はしめたとばかりに体温計をふたたび脇の下に差し入れた。

安物の、あまり性能のよくないその体温計は、3分ほど経ってようやく計測完了の電子音を鳴らした。果たして37.6度で、見事に発熱していた。なんら喜ばしいことではないのだが、しかし確かに「ほらみたことか!」という心持ちではあった。

それから、病の常としてなかなか寝つけなかった。眠れてもごく浅く、何度も目を覚ました。そのたびに熱は上がっていった。朝方には、ついに39度にまで達していた。

それでも、どうにか這ってでも会社に行かなければと思った。と言っても責任感や労働意欲からではない。会社を〈本物の病気〉で休むのは、まったくつまらないことだと思うからだ。会社は〈仮病〉でこそ休むべきだ。そうして有意義な一日を過ごしてこその欠勤だと私は考える。日がな一日寝ているくらいなら、仕事に行ったほうがよほど建設的であり百倍マシだ。

しかし、そのようなセックス・ピストルズ顔負けの反社会的なポリシーも、高熱の前には為すすべもなかった。ぼんやりとした頭で、体温が平素よりたったの2度ばかり高いだけで、こうもふらふらになるものかと思った。恒温動物、という言葉が頭をよぎる。それから、地球の温暖化にしても、ほんの1度や2度でとんでもないことになるんだろうなと、実感として思った。さらに、よくライブなんかで「会場は沸騰」とか言うけれど、あれは具体的に何度くらい上昇しているのだろうかと、どうでもいいことを考えた。

急な高熱と言えば、いわゆるインフルエンザの可能性も考えられたので、朝一番で医者にかかることにした。結果、幸いそれではなかったが、逆にすこし残念な気もした。

家に帰って、おとなしくまた床に伏せった。しかし、終始身体がぎりぎりと絞られるように痛んだ。当然、眠りは浅くならざるを得ない。5、6時間は寝ただろうと思って時計を見やっても、まだ1時間も経っていない。時間が経つのがおそろしく緩慢だった。何かの本に、病気のときに時間の流れが遅く感じられるのは、身体の代謝が高まっているせいで、相対的に現実時間が遅滞するからだということが書いてあったのを思い出す。その身体感覚を利用すると、目をつぶって1分を数えて、実際の1分とのズレを毎日計測することで体調管理ができるともあった。

アインシュタインではないが、相対性とはなんとも不思議なものである。絶対的な独立した存在なんてただのひとつもなく、時間でさえも〈相対的〉に伸び縮みをして変化するーー。時間は遅々として進まない。身体は激しく不調を訴えて苦しくもある。しかし、どうしてそれは、かけがえのない幸福だと思った。

普段は体重くらいにしか意識の及ばない健康体で、思ったことを思った通りに活動できている。そのカウンターとしての病は、苦しくも甘美な幸福には違いなかった。

人は折に触れ、病にたわいなく打ち負かされ、じっと床に伏せなければならないような気がする。それはほとんど神の啓示ですらあるようにも思われる。愚かしい話だが、急いで治すことも適当にごまかすこともできない病の前で、久しぶりに私は私が矛盾に満ちた非効率的な生身の人間であることを思い出したのだ。それはつまり、もったいぶって言えば人間性の回復とでも言うべきものなのであろう。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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