悪のお手本(仮面ライダーに見る悪と正義)
2017/08/22
“人間の悲鳴はいつ聞いても気持ちがいいなあ”
先日公開された、「仮面ライダー1号」での悪役のセリフである。
本作は仮面ライダー45周年記念の超大作だということだが、私の率直な感想としてはお金を払ってまで見るものではない。しかし、このセリフだけは唯一の収穫であった。
というのも、ここまでベタな悪は逆に斬新であり、〈悪のお手本〉とでもいうべきものであろう。現代、ここまで典型的な悪はもはや童話の中くらいにしか見つからない。たとえば、浦島太郎での亀をいじめる子供たちであり、シンデレラをこき使う継母であり、さるかに合戦においては蟹を騙す猿である。
それらはもっとも原初的かつ明快な悪といえるだろう。そう考えると、昨今見受けられる悪はあまりにもグレーである。良いような悪いような、あるいは皆が良い、もしくは悪いと言っているからそうなのかもしれない、というような。
その原因は、情報化社会の果てにあって、多様な価値観が林立し許容されるようになった反面、善悪さえも複雑に相対化されてしまっているからだ――などと言っておけば、まあ誰しもある程度は首肯されることだろう。しかし、私は問題の核心はまったく別にあると考える。
それは、〈悪のお手本〉が消失してしまったからである。つまり、冒頭に挙げたような「人間の悲鳴が気持ちいい」などという、混じりっ気なしの純度100%の悪がいなくなってしまったのである。
いまの世の中にはびこるのは、悪とさえ呼べないような浅薄で短絡的な迷惑行為及び犯罪ばかりである。悪とはそんな安いものではない。悪とはひとつの思想なのである。それは、『一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ』というナポレオンの言葉に端的に言い表されている。そう、この世には、何億人殺そうとも悪ではない、もっと、善であるということさえあり得る。たとえばナチスが悪である所以は、虐殺の規模よりもその思想にあるのである。
そもそも、我々は善よりもしばしば悪から出発する。子供を見てみればよい。「(善いことだから)〇〇をしてほしい」のに、「(悪いことだから)〇〇をしてはいけない」ということの方を圧倒的に多くする。人間の成長は、善を増やすことよりもまず、悪を減らすことにこそ重点が置かれているのである。
それはなぜか? 悪はそれ自体ただちに害をこうむる性質のものであるが、善の方は無いなら無いですぐには差し支えないものだからである。要は、〈義務〉か〈努力義務〉かという違いである。義務は絶対であり、当然、義務は努力義務に先行する。
つまり、我々は善よりもいっそう明確に悪を定義しなければならないのである。善のない悪はあり得るが、悪のない善はありえない。人を喜ばせることを知らない悪人はいくらも居るだろうが、人を傷つけることを知らない善人はいないだろう。
しかし、そのことに気づくのは難しい。大人でも難しい。ましてや子供であればなおさらである。正義の仮面ライダーが、悲しいかな悪であるショッカーや怪人に依存しているということを。実際、仮面ライダーの原作からしてそうなのである。以下Wikipediaより引用しよう。
“ある日、優秀な科学者にしてオートレーサーの大学生・本郷猛は、世界征服を企てる悪の秘密結社・ショッカーに捕われてしまう。本郷の能力に着目していたショッカーは、アジトで1週間もの時間をかけ、彼をバッタの能力を持つ改造人間に改造していく。しかし、本郷は脳改造される寸前、ショッカーに協力させられていた恩師・緑川博士に助けられてアジトから脱出する。それ以降、仮面ライダーとなった本郷は、ショッカーが送り出す怪人たちを次々に倒していく。”
「仮面ライダー」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2016年3月28日 (月) 10:46 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
そう、正義よりも先に悪があったのである。そしてその悪が悪であればあるほど、ますます正義が担保されるのだ。ちょうど、アメリカのブッシュ前大統領が、イラク、イラン、北朝鮮を名指しして悪の枢軸だと〈定義〉してから堂々と戦いを始めたように、である。そして、その定義こそが、昨今のテロが頻発する世界への道筋をつけたと言っても過言ではないだろう。果たして、彼が見当をつけた悪の定義は正しかったのか、どうか。
ここであらためて悪のお手本を振り返ってみよう。“人間の悲鳴はいつ聞いても気持ちがいいなあ”――子供だましの茶番に過ぎないセリフかもしれないが、世界を動かす立場にある誰も彼もがこのように正しく明確に悪を定義できていたならば、世界はもう少し違ったものになっていたのかもしれないと思うのは、さすがに詭弁に過ぎるだろうか。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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