偉くなるということは
2017/08/22
朝っぱらから妙にお堅いことを考えだしてしまった。それで文章が書きたくなった、ので独り言のごとく思考を吐露吐露。
いま、どうして偉くなって人は道を踏み外すのか、ということを考えている。
最近、いわゆる「成功した人」の不祥事が続いている、ような気がする。
古くはホリエモン(死語くさいが携帯の予測変換で出てきた)、最近では小沢代表、アロムさんも書いていたが小室哲哉、などなど。
えらくなったことがないのであくまでも予想でしかないんだけど、偉くなると人ってのはベタに高慢になり傲慢になり奢るようになり自己中心的になり、それでまあ「おれはなんでもできるんだ」っていう万能感に冒されて、善悪の境目も忘れて好き放題してしまうものなのかもしれない。
諸悪の根源らしきものを探してみると、たぶん欲望だろう。
欲望もピンからキリまであり、子供がお菓子を欲しがるというような他愛もない欲望から、一国を支配したいという無条件に不穏な感じのする欲望まで、実にさまざまなものがある。
偉くない今だからこそそう思うのかもしれないが、偉くなると人ってのは忘れてしまうのではないのか、初心というやつを。かつてお菓子を欲しがっていたことを、すっかり忘れてしまうのではないか。
お菓子を欲しがることと国を欲しがることが、実は同じ“欲”であるいうことを、忘れてしまうのではないか。そもそもわからなくなるのではないか。あんまりにも欲望の対象が違うから、欲は欲でも別物だと思ってしまうのではないか。
僕の想像力が及ばないのは否めない。なんとなくそう思う、の範疇を脱せないのも否めない。
たとえば、一円でも一億円でもお金はお金であるはずなんだけど、ある一定のところからそれは別物になってしまうんだろう。
一円を持っていても何にも起こらないけれど、一億円あれば、少なくとも「うちに投資しませんか」とか「運用しませんか」とか、その他いろんな人々がまとわりついてくるんだと思う。
成功したから金持ちなのか、金持ちになったから成功したと思うのか、鶏が先か卵が先か、みたいな。
やっぱり想像が及ばない。
なんとなく、現実的な物質の力ってすごいんだろうな。口先でべらべら「自分だけの利益を追求するのは人間としてどうなのか」とか言ってたって、目の前に一億ドンと現金積まれたら、キョトンとして四の五の言えなくなって黙っちゃうもんなのかもしれない、人間てのは。
いやもちろん、みんながみんなお金になびくわけじゃないだろうけど、自分の信念とか、人間としての基本的な道徳とかを、いくらお金を積まれても揺らがないようするって、かなり難しいことのような気がする。
偉くなってちょっぴり孤独になったとき、往々にして人間てのは、あくまで多分だけど、自分自身よりもお金の方が信じられたりするんだと思う。
よく言う、悪魔に魂を売り渡すってのは、たぶんそういうことを指すんだろうな。
まあ、想像ばかりなんだけど。一回偉くなって、もう一度ちゃんと考えたい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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