何もかもどうでもよくなる夏
2017/08/22
7月に入ったというのに、涼しいを通り越して肌寒い日が続いている。と思いきや、一昨日あたりから急に夏になってしまった。
もしかすると、今年は夏が無いのかもしれないと喜んでいたが、そんなわけもなく、やはり季節は巡るらしい。
夏という季節を過ごすのはこれで33回目だが、いまだに夏の熱波には驚かされる。こんなに暑いもんだったっけと毎年のように思う。
わずか5分も歩けば、汗はかくし、皮脂はにじみ出るし、脇は湿るし、股間は蒸れるし、臀部など濡れそぼってしまう。
まったく、不愉快なこと極まりない。夏が好きだなどという人間は、とうていまともな感覚を持っているとは思えない。
暑いと開放的になるとはよく言うが、むしろ、何もかもがどうでもよくなるの間違いではないだろうか。思考はおおざっぱになり、言葉は切れぎれの単語になり、省略され、いいかげんになる。
暑い、だるい、喉かわいた、ビール、寝る。夏はこれらの繰り返しで終わると言っても過言ではない。難しいことは何も考えられない。
デュルケームの「自殺論」によると、どの国でも「夏>春>秋>冬」の順に自殺率が高いと言われているが、それこそ暑さによる思考の溶解、つまり、生きるか死ぬかというような二元論的な単純思考の結果ではなかろうか。そう、人間は暑いと馬鹿になるのだ。
生ビール! ぐびぐび! げらげら! ガーガー(爆睡)。夏にはロマンもクソもあったものではない。
しかし、あえて言うならば、夏は若者のためにこそあるのだと思う。尽きることのない気力と体力ではしゃぎ回って、汗と涙でぐちゃぐちゃになってこその夏なのではないだろうか。
そう考えると、年を追うごとに、いよいよ夏が疎ましく感じられるのは必然なのかもしれない。
そうして、もう二度と、ぼくのものにはならないだろう夏を、昔の恋人のように遠く遠く思い出すのである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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