休日の日曜日と呼ぶべき日曜日があったことを話したい(後編)
2017/08/22
キラキラネームのウンチクを得られる有意義な一日になりそうだ。そう思いながら、しばらく歩いた。
たぶんこの方向で合っているとは思うが自信はなかった。見慣れた風景の場所まで戻ってくる。もう少し行けば交番があるので、そこであらためて尋ねようと思う。
先の公園兼野球場に差し掛かる。不意に、ビールと弁当を買って野球でも眺めようかと思い立つ。いやいや講演会で勉強をとも思うが、暑いし場所もよくわからないしで、なんだかもうどうでもよくなってくる。
すこしばかり引き返して、スーパーに入った。暴力的な涼しさに包まれる。レジ奥の壁面にかかっている時計を見やると、講演開始の14時を15分ほど回っていた。それでもう、完全に行く気が失せてしまった。
たまには野球でも見ろってことかと適当に納得して、生鮮のお寿司のコーナーに行き物色をはじめた。お買い得のシールが貼ってある12カン入り798円のお寿司をカゴに入れて酒類コーナーへと移動する。その道すがら、惣菜コーナーを通りかかり、種々の弁当が目に入った。
季節の彩り幕の内弁当という、いかにも楽しげな弁当があった。ああ、外で食べるなら醤油皿の扱いが面倒な寿司よりも単純な弁当のほうがいいなと思う。それに、いろんなおかずがあったほうがビールもうまいよなと、お寿司を元の場所に戻して、季節の彩り幕の内弁当698円をカゴに入れてようやく酒類コーナーへと向かった。何やらこだわりのありそうな高めの350ml缶のビールと、レモン缶チューハイを買ってお会計とした。
スーパーを出て、まっすぐ野球見物に向かった。カキンとかバシッとかワーワーとか、まあ、そういうありふれた野球らしい音が響いていた。どこで食べようかと園内を見渡した。この夏の日のためにしつらえられたようなベンチが木陰に涼しげに点在していた。そのひとつに腰を落ち着けた。
さっそくビールを空けて、喉を滑らせる。うまい! というほどではない。正直なところ、先ほどの黒ウーロン茶のほうがよほどうまかった。とはいえ、ここは是が非でもビールを飲まねばならないのである。間違ってもお茶などで文字通りお茶を濁してはならないのだ。
なぜかというと、ビールをはじめお酒とは、手軽かつささやかな”社会からの逃走”なのである。アルコールを摂取する。酒気を帯びる。すると、車の運転はできなくなるし(ペーパーのゴールド免許だけれども)、会社で働くこともできなくなる(休日出勤なんかしたこともないけれども)。
とにかくは、酒気を帯びることによって、社会との距離を物理的というか薬理的に生じさせるわけである。だからこそ人は、酔っ払った時にはいろんなことが、特に普段、神経をもっとも使っていること――多くの人にとっては仕事――が、どうでもよくなる。
普段は近すぎて、それで重大ごととしか思えず、とてもどうでもいいなんて言えないが、距離を持つことによって客観視されるのである。ときに宇宙の話などを聞くと、日々の生活や悩みの一切が、おそろしく瑣末でくだらないことのように感じられるのと同じである。
白球が棒でひっぱたかれ、手袋でつかまれ、ぶん投げられる。あっちへ行ったこっちへ行ったと大騒ぎし、走ったりすべったりしている。その白球は今まさに握っている当人でもない限り呆れるほど小さくて、ほとんどそれは”白い点”だと思う。プロ野球だって、どんなにいい席に座ったとしても、白い点以上の大きさには見えないだろう。
あの白い点の動きに一喜一憂しながらビールを飲むのが好きという人は多い。そんなこと、ぼくは馬鹿馬鹿しいことこの上ないと思うが、今だけは悪くないと思う。白い点は、それぞれの棒だか手袋だかにぶつかるたびに、遠くてもはっきりと小気味よい音を響かせる。すなわちカキン、すなわちバシッと。ぼくはグビッと、モグモグッと、それを見ている。いや、見てはいない。どちらのチームが勝ってて負けてて何がどうなっているのか皆目わからないので、ただ、風景として眺めているだけである。
生ぬるい風がわっと吹いて、わきに置いていた弁当のフタを飛ばした。フタに残っていたソースに砂がついて、でも、それがなんとも言えず愛おしいのだった。深々と、幸福だと思った。たぶんぼくは笑みを浮かべていた。なんて豊かな時間だろうかと思った。とても長い時間に感じられた。
弁当も食べ終わり、ひとしきり感慨にふけったところで、弁当ガラと空き缶をまとめて帰路についた。
『住宅街に小型機が墜落』。帰り道にある、まちの小さな電気屋のおもてにあるテレビが報じていた。ぼくは足を止めて見入った。場所は調布で、ここからそう離れていなかった。
しばらく見ていると、ぼくの後ろに、若いカップルが同じように足を止めた。男が「おい、すぐ近くだよ」と言った。かすかな連帯感を覚えながら、ぼくは”三人で”ニュースキャスターの説明を聞いていた。
911に似ていると思った。そう、あのときのように、映画みたいだった。いや、この状況こそが、とても映画っぽかった。
興味本位の驚き。ひとごとに過ぎないけれどもざわめく胸中。だけど、どこかわくわくと心躍ってもいた。この瞬間がぎゅっと濃密に感じられ、やけにリアルになって、それからひどく嘘っぽくなって、どうでもよくなって、ぼくはその場から離れた。ぼくがいなくなると、その分、カップルはそっとテレビに近づいた。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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