人生の正解
楽しい人生、充実した人生、幸せな人生。そういうものを求めている。
私に限らず、たいていの人はそういうものを求めているのだと思う。求めていないという人は、たぶん、求めていないのではなく諦めている人か、あるいは打ちひしがれている人くらいのものではないだろうか。
それはともかく、各々に、ひとことで言えば「すばらしい人生」というもののイメージがあると思う。
たとえば、いささかアナクロかもしれないが、良き伴侶を得て子宝に恵まれ成人になるのを見届け定年を経て子子孫孫に囲まれて看取られる。あるいは、仕事で成功し十分な収入を得ていい暮らしをする。無欲を気取れば、食べられるだけの収入と大きな怪我や病気もなく人生をまっとうできればそれだけで、というのもあるだろう。なんにしろ、「すばらしい人生」の実際は、せいぜいがそんなところに違いない。
幸せになりたいと人は言うが――もちろん私自身も、というか相当に執着している――改めてこう書き連ねてみると、幸せのしょぼさに呆れてしまうのは私だけだろうか
かつては、漠然とではあるが、いわゆるバラ色の人生と呼ぶべきイメージがあった。いや、それはイメージではなく、雰囲気でしかなかったような気もする。雰囲気は空気だから、とらえどころがない。それで、具体的にはよくわからないないけれども、とにかくはお金とか名誉とか女とかいう種々の欲望がいろいろ絡まってウハウハになっている、そういう、なんとなく、すげえ人生。
そんなイメージはきっと”平成的”ではないし、十円玉の硬貨臭い感じとでも言おうか、昭和的な成金イメージでしかないかもしれないが、確かにそういうイメージがあった。そういう人生を思い描き、目指していた。と言ってもこれまた漠然とだが、それでも、少なくとも「すばらしい人生」という”幻想”はあった。
いま、幻想はあとかたもなく、人生はどうあるべきかというイメージは曖昧模糊として、立ち込めるのは日々の生活の残りカスのような埃ばかりである。楽しい人生って言っても何が楽しいのかがいまいち不透明になってきたし、充実した人生ったって、何がどうなれば充実なのか、これまたよくわからない。極めつけは幸せな人生って、あんた、幸せってなんなのよ? 教えてちょうだい! と、オカマ口調で誰彼かまわず問い詰めたいような感じである。
それはただ単に、歳を重ねたことによる心身の疲労、夢や希望の摩耗、想像と現実との乖離、いわゆる”大人になる”と表現されるような、ニヒリスティックな感覚によるものが大きいのかもしれない。しかし、そこでほとんど逆説的に真剣味を帯びて立ち上がってくるのが、「人生とはなんぞや」であり「人生をどう生くるべきか」という、あまりにもベタな命題であるのは、なんだか可笑しい。
だってそれは、中学や高校の時分に誰しも考えたことがあるだろう、自分ってなんだろう、ひいては人生ってなんだろうという、アイデンティティの確立に欠かせないけれどもどこまでも青臭い、あの問いの再来であるからだ。
違うのは、すでに一応のアイデンティティは確立されているということである。そして、おそらくはこの問いを発した瞬間に、たちまち答えに気づいてしまう。つまり、答えはないということに。
それでも、折に触れてこの問いを発してはみる。いや、発せざるを得ない。自分の人生が正しいのか、正しくないのか。これでいいのか、よくないのか。答えはない。あるはずもない。ただただ日々の生活に押し流されていく。歳を重ねるにつれ、問う頻度ばかりが増えてゆく。しかし、いくら増えようとも、目の前のこまごまとした日常に、問いはおろか、自分の存在もろともが呑み込まれてゆく。
結局、何がなんだかよくわからないままに死んでしまう。たぶん、そうなる。ほとんどすべての人が、そうなる。それは、恐ろしいことだ。しかし、あまりにも仕方のないことだとも思う。
こう、あれこれ考えていると、何もかもがどうでもよくなってくる。実際、最近の率直な心持ちは「どうでもいい」なのだ。って、これまた反抗期の定番の「どうでもいい」ってセリフに違いなく、なんだかもう、人生はやたら面倒で大掛かりな茶番で、しっかりオチがつくようにできているのかもしれない、なんて、ぼんやりと神様の気持ちを考えてみたりもして。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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