プラネタリウムと写真のこと

  2017/08/22

つまり、どこにも行きたくない-F1000977.jpg

昨日はプラネタリウムに行ってきた。岡本太郎美術館がある生田緑地内にあり、料金は大人お一人様200¥!激安!約45分!200¥!
で、もぎりの人にチケットを渡して中へ入るとなぜだか双眼鏡を渡された。
百人くらいが収容できる円形のホールのど真ん中に今日の画像の投影機が設置されている。この機械は“メガスタートゥー(Ⅱ)”というらしい。
わざわざ“トゥー”と書いたのは星座の説明などを含めた司会のじいさんのしゃべり方だからである。
姿こそ見えないが明らかに“ほがらかで真面目な良いじいさん”ということがその声色と口調から十二分に伝わってくるのである。
本当ならぼくの口まねをYouTubeにでもアップしてみなさんにお聞かせしたいのだが、もちろんそんな面倒なことはしないので文面から想像していただきたい。
「こんにちは……」から始まり、ってやはり雰囲気が伝わらないので僕が爆笑した箇所だけをピックアップ。
「土星はですね、太陽の周りを、30年かけて、一周します。地球は、1年ですね。土星では、なかなか、お正月がきませんね」
「これは、明日の3時頃の空です。本当に、星がきれいです。ぜひ、早起きをして、見てみてください。わたしはですね、3時ごろには起きているんですね。そして空を見ます。本当に、きれいです」
っプライベート語っちゃったよ!
と思わずつっこんでしまったぼくであった、って、やはり文章では伝わりそうもなく残念無念。単なる寒い文章になってしもうた。かたじけなし。
閑話休題。
今読んでる本がたいがい興味深く勉強になるのでまた引用しつつご紹介。
前の森村先生の本と合わせて下北沢の古本屋で買ったんだけど、この二冊はまさに大ヒット。
●飯沢耕太郎「写真美術館へようこそ」(講談社現代新書)
タイトルの通り写真の歴史や変遷についての本である。で、今日へぇ~と思ったところを引用。
以下引用
写真というメディアの最大の逆説の一つは、モノや風景を精確に、緻密に撮影すればするほど、そこにどこか幻想的な雰囲気があらわれてしまうことです。イメージの細部は実物とそっくりそのまま同じなのですが、全体としてみればどことなく魔術的な「本物より本物らしい偽物」といった感覚が生じてしまう。それはおそらく、写真のシャープネスがわれわれの肉眼の視覚とは異質な原理によってつくられているからでしょう。
ちょっと周囲を見渡してみればすぐにわかることですが、われわれの眼はけっこういいかげんなもので、ピントの合う範囲も限られていますす、ぼんやりとしか対象を見ていない。写真の精密な描写はいわば"神の眼"のようなもので、一種の驚きと恐怖の感情を引き起こすことさえあります。
引用終わり
最近ファッション雑誌に掲載される写真の元データを見る機会があって、それで余計にこの文章に納得させられた。
その元データは一枚の写真のくせに70MBぐらいもあって(通常ありふれた500万画素くらいのデジカメで写真を撮ると一枚せいぜい2~3MB)異様なほどに重い。
でもそのデータをフォトショップとかに突っ込んで拡大して見てみるとその重さにも納得してしまう。
一体どれほどの画素数と性能のあるデジカメを使えばこんなに繊細に緻密に写せるのか、という素直に圧巻な画質なのである。
うすい産毛までくっきり写っている。肌の質感や布の質感などがありありと描き出されており、目玉などまるでモニターに直接はめ込まれたガラス玉みたいにさえ感じられて、それでとにかくはリアルすぎてなんだか逆に作りものっぽい気さえするのである。
確かに本物らしいのだが、素晴らしくリアルなのだが、それが逆に嘘臭いのである。
僕は写真に対して未だかつてそんな印象を抱いたことはなくて、ただただ驚くというか不思議というか、なんでこんなにリアルなのに嘘臭く感じるんだろうと、感じたことのない感覚だけに自分の中でその写真に対する様々な印象を消化しきれず持て余していたのだった。
そんな折りに今回の文章に出会いなるほどと納得がいったわけで、、あ、続きはまた明日。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

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    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

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    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

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