シェル美術賞とヘーゲル弁証法
2017/08/22
シェル美術賞に応募する作品用にキャンバスを張った。F80号。とりあえずで緑のカラージェッソを塗りたくっておいた。何描こうかなあ、と、ぼんやり考える。
ゴールデンウイークはたくさん時間があるなあ、とか思ってたけど、逆にあんまりやる気が起きない。無い時間をやりくりする方が好きなのかもしれない、いや、それは単なる言い訳かもしれない。
例えるなら、散らかり過ぎた部屋を前にして「どこから手をつけていいかわからない」となって「とりあえず寝ちゃおう」という感じだろうか。事実、何時間寝たか、ちょっと恥ずかしくて申し訳ないくらい惰眠を貪ってしまった(誰に対してそんな恐縮してんのかって、言うなら“努力の神様”で、いまきっとその神様は怒ってらっしゃる)。
まあ今日は東京アンデパンダン展の搬入があるから、仕事といえば仕事で、予定の無いゴールデンウイークの貴重な予定というか用事であり、とにかくは晴れてよかった。スーパーヘビー級の雨男なもんで。
閑話休題。絵の話は置いといて、最近読んでちょっと面白いなあと思ったヘーゲル弁証法のお話をひとつ。
以下引用(なんの本だったか忘れた)
ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法にしたがえば、主人が奴隷の労働に依存しているということを認識させられたときに、主人は主人でなく、奴隷は奴隷ではなくなる。
主人は奴隷によって主人だと思われているからこそ、主人であり続ける。
しかしこれは「みんなが一斉に「そうではない」と思えば、そうではなくなる」という関係である。そうした関係は共同幻想という名で呼ばれる。
引用おわり
あーむ、共同幻想か。僕はみんなに(と言っても友達はかき集めても5人くらいしか居ないけど)トモニと呼ばれ、そう思われているけれど、もしもみんながある日突然一斉に「おまえはヨシオだ」って言い出したら、おそらくぼくは否定すべくもなくヨシオになっちゃうんだろうなあと思う。
友達はもちろん、恋人も、親も親戚も「ヨシオちゃん」と言い出したとしたら、僕はもうまったくどうしようもなく無力に「はい、ぼくはヨシオです」と呑み込まざるを得ないだろう。
そうしてヨシオになったぼくは、“ヨシオらしい”行動を、考え方を始める。
服装も対して気にしないし、言動もなんとはなしに卑屈になってきたりして、口を開けばいちいち語尾に「どうせ僕なんか、すいません」とか言ったりして。
何かアンケートに記入するときも「どうせ感」全開で、匿名でいいのに「ヨシオなんて月並みな名前だったら匿名と変わんないよ、どうせ」と、わざわざヨシオって書いちゃったりする。
合コンに言って名前を聞かれたから答えたのに、「ヨシオ」なんて普通の名前すぎるもんだから何の話題の広がりもなく通り過ぎられてしまったりして。
ああ、おれってヨシオだよね、ああヨシオだ。しかし、世間にヨシオは五万と居れども、ぼくという人間はたった一人で、つまりヨシオという名前においてはひどく月並みかもしれないけれど、やはりそれは名前の面だけであって、断固としてぼくはオリジナルなのであって、他の多数のヨシオとは異なるアイデンティティを持つわけであって、だからぼくはぼくらしいヨシオとして、堂々と生きてゆけばよいのである!
と、ようやく悟れたのは30手前だったりして、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、長年つちかわれた卑屈っぽい根性は一朝一夕のうちに抜けるものではなく、ああ、ぼくがもしもトモニとか変わった名前だったら、もっと早い時期に自己と他の違いを強く認識できて、もっとオリジナリティあふれる人間に育ったはずなのにっ!
と、親を恨む。メラメラと恨んでいるところに、ふとかたわらに首尾良く果物ナイフが転がってたりして、そいでカッとなってグサッとやって、自首して裁判になって、動機はなんなんだって「ヨシオのせい」なんて、まるでカミュの異邦人みたく「太陽のせい」的なこと言っちゃって、メディアがその事件をあおっちゃって「名前をしっかり考えよう運動」がはじまって、で、時は流れて2009年現在、“ウルトラ”じゃい“アムロ”じゃいおかしな名前が氾濫している世の中になってしまい、そこでは逆にヨシオなんて名前が特異性を獲得して、ヨシオは個性たっぷり自信たっぷりに生きていけるようになったのである。めでたしめでたし、って、あー、ゴールデンウイーク真っ只中なのによー、朝からなに書き連ねてんだよおれのばか。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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