なぜか、どこかに行ってしまった。【日光・鬼怒川温泉篇】

  2016/04/08

先週末、日光・鬼怒川温泉に行ってきた。

とにもかくにも、まずは謝罪しなければなるまい。申し訳ない、本当に。「むろん、どこにも行きたくない。」などと銘打って置きながら、どこかに行ってしまったのである。これはもう羊頭狗肉以外の何ものでもなく、看板に偽りあり、ペテン師のイカサマ野郎のブログじゃないかという謗りは免れないであろう。

即刻、「どちらかというと、どこにも行きたくない。」に改題すべきであろうが、それはちょっとさえない感じなので、今回だけはどうかご容赦いただきたい。

しかしまあ、別に行きたくて行ったわけではない。賭けに負けたというような理由だと考えていただければ、実情に近からず遠からずというところである。

そうしてとにかくは、一般的には「復縁」、くだけた表現をすれば「よりを戻した」と言われる状態のアベックで、のこのこと旅行に出かけていった軟派野郎の私である。ちなみに、どこかに行くことに興味がない私は、一から十まで連れ合い任せで、行き先さえ当日まで知らなかったのであった。

2015年11月7日の土曜日、北千住のホームに8時10分。この情報だけでもって出発した。天気予報は雨だったが、どうにかこうにかの曇り空であった。

電車に乗って1時間半(約1500円)、次にバスに乗り換え1時間半(約1500円)、送迎バスに乗って20分(無料)。そうして、ちょっとわざとらしいほどの秘湯的雰囲気を漂わせる温泉宿に辿り着いた。

その途中、日光東照宮とやらを観光したが、特に感慨もなかったので割愛させていただきたい。いや、正直、温泉宿についてもそれほど書くべきことはない。温泉につかってメシを食って酒を飲んだだけである。手足をじたばたさせてしまうほど部屋が素晴らしいわけでも、限度を超えて食べ過ぎてしまうほどメシが旨いわけでもなく、ふうん、あっそという感じであった。

一応、貧乏根性を発揮して温泉には4回入ったが、もともとそれほど風呂が好きなわけでもないので、無理して入って疲れたというほうが正しいかもしれない。

それにしても、あっけなかった。たいしたテンションの高揚もなく夜が更けた。二日酔いも何もない、ふつうの朝が来た。静かに、真顔で帰路に着いた。

もと来た道を引き返し、送迎バスに乗って20分(無料)、バスに乗り換え1時間半(約1500円)で、鬼怒川温泉駅に到着した。駅近くのラーメン屋で、遅い昼食をとった。そこで食べたラーメンが、今回の旅行で一番おいしい食事だと感じてしまったのは、温泉宿の料理のせいか、私の舌のせいか、それともアメリカの小麦戦略のせいか、どうか。

鬼怒川温泉駅から北千住駅までは、電車で一本であった。この電車内こそが一番の盛り上がりを見せて楽しかったのは、ヤケクソとばかりに安酒をあおったせいかもしれない。私たちのほかにも、多数の旅行客が乗り込んでいた。自分の座席から左斜め前に陣取っていた、老人会とおぼしき男女8人ほどの一団を、およそ2時間、眺めるともなく眺めていた。

それぞれの顔は、産み落とされてから流れた月日を愚直に体現していた。缶ビールやワンカップを片手に、顔面を紅潮するにまかせている。そうして、ごにょごにょと聞き取りにくいなにごとかを言っては、目尻口元に夥しいまでの深く細かいしわを作って大笑するのであった。

それが落ち着くと、各々が炊き込みご飯らしきものを取り出した。スーパーの惣菜売り場なんかに置いてある薄いプラスチックの容器に入っており、緑の輪ゴムでしばってあった。それを一斉に外すものだから、パチプチバチンとか、そういう弾けるような音が連続した。

食べる間は、妙に静かだった。誰かの葬式みたいに神妙な面持ちで、割りばしをもぞもぞさせては、炊き込みご飯をぐずぐずと口元へ運んだ。

その後は、みんな子供のように眠ってしまった。とはいえ、子供に感じられるような愛おしさはなく、ただ、これが歳を重ねたその後にあり得べきひとつの幸福の形なのだろうかと考えていた。そのうちに、私もまた眠ってしまった。

目が覚めると、春日部駅あたりを通過中であった。あと30分とかからず着くところで、彼らもまた動き始めていた。若い頃に肉体労働でもしていたのだろう浅黒さの初老男性が、伸びをしながら大きなあくびをした。私は、思わずその息がひどく臭いだろうことを想像したが、しかし、その隣の50代半ばとおぼしき女性は嫌な顔ひとつ見せず、鷹揚に微笑んでいた。

私もいつしかその男のようになり、連れ合いもまたその女のようになるだろう。つまり、年老いてゆく。それにしても、老人に、歳を重ねることに、どうしようもない悲しさとむなしさ、もっと言えば忌避感を感じてしまうのは、自分はまだ若いとたかをくくっているおごりだろうか。それとも、ほとんど不死のように感じられる肥大化した稚拙な自我の、想像力の貧しさゆえだろうか。

まもなく北千住駅に到着するというアナウンスが流れた。老人たちは身支度を始めた。笑顔はすっかり消え、いやにさびしげだった。苦しげでさえあった。それぞれの脳裏に、旅行に行って、帰ってという、その一連の流れが、はらりはらりと散る晩秋の枯葉のように思い起こされているのだろう。私もまた、そのような感慨でもって、この一泊と二日のことに思いをはせていた。

到着して、ドアが開いた。ホームに足を踏み出すと、そこにはもう柔らかい非日常の余韻はなく、ぷっつりと切断されてひたすらに硬質な日常であった。自然と家に帰ってからのことを考え、明日の仕事のことを考え始めてしまう。つい三時間前、つい六時間前には、ここではないどこかにいて、いつもとは違う特別な時間を過ごしていたのだけれども、それはもう二度とは戻らぬ過去となり、思い出でしかなくなっている。

老人たちは最後の気力を振り絞るように笑顔を作り、口々に楽しかったまた行こうと言い合って散っていった。その”また”はもうないかもしれないのになと思いながらも、私は私で明日の話をし、これからの話をし、あるいは次の旅行の話をするのであった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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