とんかつが食べたい。

最終更新: 2016/04/08

とんかつが食べたい。

ときどき、そういう欲求がわき起こる。でも、本当にとんかつを食べることはまずない。1割にも満たないだろう。

つまり、字義通り十中八九、今回もまたとんかつを食べることはないだろう。

それでも、2ヶ月に一度くらいは、必ずとんかつが食べたくなる。結局食べないのに、食べたくなる。

なぜだか、脳みそだか身体だかがそれを欲求する。「とんかつ食べたい→とんかつ食べる→満足」という快感を覚えてしまっているというのならわかるが、実際は「とんかつ食べたい→とんかつ食べない→忘れる」でしかない。

なんのために、これほど繰り返しとんかつが食べたくなるのだろうか。豚にあるビタミンか何かを欲しているのだろうか。しかし結局食べないのだから、ぼくの身体にとってなんの得にもなろうはずがない。にも関わらず、ぼくの身体は定期的にとんかつを欲する。

身体の素直な欲求は、たいてい正しいと思う。脳みそでこねくり回した理屈より、よっぽど理にかなっているんだと思う。本能と一緒で、睡眠が必要だから眠くなるのだし、繁殖が必要だから性欲がわき起こるのだ。

食べることもまた然りである。つまり、とんかつが食べたい。そのような身体欲求は、身体のナマの声なのである。

なんて言うと、そこはかとなくスピリチュアル的なうさん臭さが漂ってくるが、しかし、それは非常にアクチュアルなデザイアというべきものであって、ボディのストレートなウオンツなのである。

あるいは、梅干しならまだわかる。想像することにより、唾液が分泌され、口内の清浄化等に寄与するだろうからである。

一方、とんかつを想像しても、まず唾液は出てこない。出てくるという人は、よっぽど腹が減っているに違いないから、さっさとなんでもいいから食べたほうがいい。とりあえず、改めて想像してみてほしい。とんかつのことを。

まず、橙と黄の中間のような衣が浮かんでくる。よく揚がっていて、パン粉のひとつひとつがかっこよく尖っている。いかにもサクッとしていて、ぼくらの歯を、そして咀嚼のときを、屹然と待っているかのようである。

それはどこか、今まさに飛び立たんとする特攻隊員の悲壮な、すっくと直立した様子を連想させる。我々は、決して屈しない。鬼畜米英よろしく、貴様ら(歯)には、絶対に屈しない。最後まで、サクッと、サクサクッと、たとえ黄泉の国(胃袋)へ行こうとも、決して屈することはない。

それは、紛うことなき大和魂、This is ジャパニーズソウルである。J Soul Brothersなんていうチャラい軟派野郎たちと一緒にしてもらっては困るのである。

とんかつ、嗚呼、豚カツ。アジアの島国ニッポンで生まれた、他の追随を許さないワールドワイド、誇り高きTONKATSU。

そんな彼をリスペクトし、支援する者は多い。たとえばKYABETSU。いつでも彼に清潔な寝床を提供している懐の深い人物である。また、 KARASHIの存在も忘れることができない。控えめな性格とは裏腹に、深い愛情でもってべったりと一隅に張り付き、彼を見守ってくれている。

そんな連中に囲まれているからこそ、TONKATSUはいつでも人々に素晴らしい印象、もっと言えば夢と希望を与えてくれるのである。

さてと、衣だけでおなかがいっぱいになってしまった。唾液が出るとか出ないとかいう無粋な話はもうよそう。

ただ、今は、TONKATSUのことだけを考えていたい。

Forever TONKATSU

I Believe TONKATSU

とんかつが食べたい。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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