お風呂の話

  2016/04/08

下町には銭湯が多いらしい。その知識をどこで得たのかは定かではないが、漠然とそういうイメージがある。

大学生のようによく眠った日で、昼前に起きた。絵を描いて、こまごまとした展示の準備作業をしていると、夕方になった。

お腹はまだあまりすいていなくて、なんとなく思いつきで「銭湯に行こうか」と相方に言うと、二つ返事で同意して近所の銭湯の検索を始めた。

徒歩5分とかからない場所に「日の出湯」という銭湯が見つかった。私たちはシャンプーとリンスを、風呂場でサランラップを広げて数プッシュずつ入れた。それをくるむと、なんだか事件現場の証拠物品みたいで、あるいはDNAか何かが検出されそうな感じになった。それからタオルを二枚ずつ持って、いそいそと出かけた。

17時前だったが、外はもう薄暗かった。クリスマスもお正月も近いなあと思う。二人寄り添って銭湯にゆくなんて、まさに南こうせつの神田川そのままではあるが、残念ながら桶も石鹸もなく、おまけに荷物はふにゃふにゃのトートバッグに入れてあるので、カタコトなんていう風情はない。

ほどなく到着した風呂屋は、冗談みたいに銭湯らしい銭湯だった。純和風の瓦ぶきで、屋根からは煙突が高く夕闇にかすんでいた。入ると、すぐに男女が別れる作りになっていた。時計を見やると、16時50分くらいで、出る時間は18時だと約束してそれぞれ中に入っていった。

更衣室に入り、さっそく着替えようとした。しかし私は、お腹の調子が悪かった。まずはトイレに入り、20分ばかりこもった。むろん、蒸し風呂などの類ではなく普通のトイレである。それから、ようやくで風呂に入った。

入ると、まず無数の老体が目に入った。下町らしいといえばその通りではあるが、一応まだ若い私はどうも場違いな感じがしなくもなかった。

とりあえず、身体を軽く洗った。それから薬草風呂と書いてある湯船に足を踏み入れた。熱い。とにかく熱い。これは若者用じゃないと思い、とっさに水で埋めようと蛇口を探した。が、いつか見た4コマ漫画で熱い風呂を水で埋める若者を老人がにらむという場面が思い出された。ついでにそのオチは、老人は「くう~、たまらん。これがいいんだ」と言っているのを、若者が湯船の中で老人の太ももを思いっきりつねっているというものであった。

とにかくは年の功を信じて、茹でられるような心持ちで身体を沈めた。すると確かに、ほどなく「これはええわー」という、なんともいえない感覚に至った。続いて薬草のいかにも身体によさそうな芳香が全身を包む。至福、極楽である。しかしふと目を開けると、老体が広がる。途端に、いつかはおれもああなるんだよなと、現実的なことを考え始めてしまう。まあ、似ていると言えば似ているとも言える。つまり死ぬことについてという点において。

のぼせかけてきたので上がる。身体を洗い始める。持参した、サランラップに包まれた証拠物品的シャンプーを開き、それを頭にべったりとなすりつけた。よくわからないが、ベトナムに行ったような気分になる。と言っても、ベトナムに行ったことなどないし、地球上でどのあたりにあるのかもよく知らない。とにかくはベトナムっぽかったのである。リンスもその要領でやろうとしていた時、相方の声が聞こえた。

「お風呂出るの17時半でもいいー?」

私は湯煙の中で思わず息を飲んだ。あるいは赤面した。こんな安いドラマみたいなやりとりするんじゃねえよと思った。正直、本当に恥ずかしかった。周りはみな中年もしくは老人である。こんな若者の茶番、”舐めた”やり取りが許されるのであろうか。

数秒の逡巡ののち、私は言った。「わかったー」その声は恥ずかしさでほとんど震えていた。小さく「うん」と返事があり、それからしばらく、相方とおばちゃんもしくは老婆連中と雑談しているのだろう声が響いていた。

下町過ぎるよと思わないではなかったが、そういう老若男女問わず発揮する相方のコミュニケーション能力の高さは認めざるを得ない。実際、私の親族らから得ている好感度は尋常ならざるものがある。結婚は時間の問題だろうと思う。

それから、ジェットバスと、なんか電磁波的なやつが出ているらしい石が敷いてある風呂などを巡った。更衣室に戻って着替え始めた頃には、すでに17時半を回っていた。

相方はもう上がっているかもしれない。そう思ったが、まあいいやと思って、のんびりと着替えた。それにしてもドライヤーで20円とられるのは、風情といえるのかもしれないが、湯上りに10円硬貨を触らせるのはちょっといただけないと思う。お金はこの世で一番雑菌が付着している物質である。というか、だったら水虫がうつる可能性もある銭湯になんか来るなという話ではあるが、しかしそれとこれとは話が別である。

そうして出たのは約束の17時30分を15分も過ぎた頃だったろうか。しかし、どうしてタイミングよく、相方も出てきた。聞けば番頭さんが、「今上がりました」「今着替えてます」「今髪乾かしてます」などと逐一教えてくれていたらしい。どんなストーカーだよと笑いながら、しかし、いい風呂だったまた行こうと、二人は並んで歩き出した。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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