私は生まれて12,410日目(34歳の誕生日を迎えて)

  2017/08/22

ビールは一杯目がうまい。いや、一口目がうまい。というか一口目がすべてである。

昔、こんな話をした。ビールは一口目が一番うまくて、しかも往々にして働いて疲れた後にこそ最高にうまいわけだけど、それを何度も味わえるとしたらいくらまで出せるか。ちょっと酔いが回ってきたころに、ある錠剤の薬かなんかを摂取すると、たちまち呑み始めに戻って改めて至上の「ぷはあ」をやれるとしたら、というくだらない話である。

その時に出た結論としては、千円は余裕で出すということであった。いま考えてみても確かにそう思う。むしろもっと出すかもしれない。あれは確かに何ものにも代えがたい快感なのである。

それはともかく、何にしろ素晴らしいのは一度目である。たとえば童貞を捨てる時の経験などは、誰しもめまいがするほど貴重でかけがえのない感覚を味わうものだ。しかし残念ながら二度目はない。0回目と1回目の落差は〈天の神〉と〈地の底の鬼〉ほどもあるが、2回目と3回目の落差はと言えば、その神と鬼とが仲良く肩車でもしているようなものでほとんど同じなのである。

つくづく〈初めて〉というのは素晴らしいものだ。歳を重ねれば重ねるほど、初めてのことが減ってゆく。あれもこれも経験済みで、日常はくたびれて新鮮さがまるでない。私は生まれてこのかた12,410日もの朝を迎えて夜を越えたせいで、その一日一日にはもう飽き飽きしてしまった。果たして12,410回もやって飽きないことがこの世にあるだろうか。私にはちょっと想像できない。

長々と書いたが、今日は私の34回目の誕生日なのである。34回目ともなれば、もうそろそろ飽きてくるころであり、実際しっかり飽きている。感慨もなにもない。とりあえず近年は、ただその歳の数だけ遡ってまさに自分の誕生の日のことに思いをはせるくらいのものである。

私が生まれたのは、朝の8時か9時くらいだったと聞いている。34年前の今日、私は母の陰唇を裂いて出てきて血まみれの糞まみれであった。早速やかましく泣いて、乳を吸って脱糞して放尿し、それから眠ってまた泣いての繰り返し。そのようなところから12,410回ばかりの朝昼晩をやり過ごして今の私が出来上がった、らしい。

らしい、というのは、それが完全には想像の及ばないことだからである。生まれて、育つ。当たり前と言えば当たり前であるが、よくよく考えてみれば、これほど不思議で神秘的なこともない。あるいは、こうも考える。生まれて間もなく、ものも言えず這うこともできない私は、母に抱かれて初めて実家の玄関をくぐった。その玄関の出たり入ったりを5,475回ほど繰り返すと、まさか一人暮らしをするなどと生意気な物言いをして、直立歩行ですたすたと出て行く十八の春となる。

その月日と成長とに思いをはせるとき、私はいつも理屈を超えた神を見るような戸惑いを覚える。単純に言えば「何がどうなってこうなったんだ?」と、心の底からそう思う。

しかし、これからの変化にはあまり期待できそうもない。もう、〈成長〉などと呼ぶのは似つかわしくない年齢になってしまった。これからはただ、月日というものを、歳というものを甘んじて受け入れるばかりである。それはいっそ忍耐であろう。

そういえば、こんな故事を思い出す。中国にある大家族がいて、しかし揉め事もなくいつもみんな仲良くやっている。それで家庭円満の秘訣は何かと問うた。すると家の主は黙って「忍」という字を百遍書いたということである。

黙って耐え忍ぶ。おそらく私にとってもっとも不得手かつ困難なことである。しかし私が今ここでこうしていられるのは、誰かがどこかで耐え忍んできてくれたからこそであり、そして今この瞬間もやはり誰かがどこかでじっと声を押し殺して我慢してくれているからなのだろう、とは思う。だが、その思いを率直に感謝と呼ぶにはまだいくらかの月日を要するだろう、34歳の春である。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家/WEBデザイナー/合同会社シンタク代表。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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