平成元旦漂流記
2017/08/22
元旦に牛丼を食う人はそう多くない。
早朝であればなおのことである。2016年の元旦の朝7時前、私はその少数派の先陣を切るように『すき家』のドアを開けた。
本当は『吉野家』のほうがよかったのだが、しかし吉野家は1月1日は11時からの営業だと張り紙がされていた。それで流れ着いたのであった。客は一人もいなかった。店員も心なしか驚いているように思われた。(何が悲しくて元旦の朝に牛丼なんか食べにくるんだ?)とでも言うように。
カウンター席に座り、メニューを眺める。中国人とおぼしき店員が、お冷を差し出しぎごちない発音で注文をたずねる。いつもなら10秒とかからず決められるのだが、この日は妙な迷いが生じてしまい一度下がってもらった。2、3分ばかり悩み、ようやくで豚汁牛丼セットを注文した。
メニューを選ぶ時間よりも早く、牛丼、豚汁、生玉子からなるセットが運ばれてくる。率直なところ、限りなく元旦に似つかわしくない食べ物だと思う。食べ物は単なる”モノ”ではなく、往々にして”行為”でもあるのだ。例えば誕生日ケーキは、食べ物それ自体よりも、誕生日にケーキを食べるという行為にこそ意味があるように、である。
豚汁をひとくちすする。悲しいかな、ひどくうまい。生玉子を割り、醤油を2、3滴くわえてかきまぜる。それを牛丼にかける前に、プレーンな牛丼を味わう。やはりうまい。それから玉子をかけて、また食べる。白身が鼻水みたいではあるが、うまいことは否定のしようがない。しかし、牛丼をうまいと思えば思うほど、元旦という雰囲気から、あるいは世間から遊離していくような気がする。
その時、入り口のドアが開いた。入ってきたのは老婆であった。と言っても、足腰もしゃんとしていて肌つやがよく、まだまだ元気そうだった。老婆は店内をきょろきょろと見回しながら、カウンターにあるレジに近づいた。
「やってますか、このお店は」
「え、はい、やてます」中国人は答えた。
「ああ、よかった」老婆は不自然なほど相好を崩して言った。「いやね、あたし、調べてるのよ。お正月にやってるお店がどれだけあるのかしらって。ほら、あそこの曲がり角にあるお弁当屋さんはやってたんだけどね、ここもやってるみたいねえ」
「は、はあ」中国人は戸惑いながら答えた。
「変に思うかもしれないけれど、笑わないでちょうだいね。ところで、ここは”おかず”は売ってらっしゃるの?」
「え、は、ギュードンをウてます」中国人は答えた。
老婆は相手の理解力不足を一顧だにせず、「いやね、ごはんはあるのよ。ほら、電気炊飯器で、いつでもごはんは炊いてあるのよ。だから、なにかおかずはないかしらって思ってね。おかずは売ってらっしゃるのかしら」
「あ、はあ、えと、あの、ギューザラというのもウてます」中国人はそう、かろうじて応じた。
「そうなのねえ。じゃあ、これをもらおうかしら。うーん、そうねえ、いやね、ごはんはあるのよ。ほら、電気炊飯器で、いつでもごはんは炊いてあるから、ごはんはあるの。あるのよ。うふっふっふ……」老婆は手で口元を抑えて、いかにもおかしそうに笑った。その眼に狂気は認められなかったが、しかしその言動はどうにも狂気じみていた。
中国人は苦笑いし、明らかにうろたえていた。しかし、私はその老婆の境遇を察した。きっと、孤独老人なのだと思った。
老婆はひとしきり笑ったのち、「じゃあ、これをもらおうかしら」とメニューを指差した。中国人は「ギューザラ、イチマイ!」と厨房に伝えた。老婆は注文を終えたあとも、「電気炊飯器でね、いつでもごはんは炊いてあるから、ごはんはあるのよ。あるのよねえ、うふふ」と一人ごちていた。
間もなく持ち帰り用に牛皿が用意され、老婆はお会計を済ませた。「ありがとうね」そう老婆は出て行こうとしてドアを押すも「開かないわ」と、老婆はうんうんうなりながらドアを押した。ようやくで開くと、「病み上がりで、力がないのよ、まったく、もう、ありがとう、うふ、うふふ」と、また笑いながら出ていった。
牛丼を頬張りながら私は、別に、悲惨にも、哀れにも思わなかった。ただ、道の真ん中にコロッケが落ちているような、はっきりとした違和感だけを感じていた。
それぞれの人生があるように、それぞれの元旦がある。それこそ千差万別だ。珍しいことは何もない。いろんな人がいる。ただそれだけだ。しかし、元旦という日には、初日の出というわけではないが、その差異を残酷なまでに照らし出す作用があるような気がする。それで、楽しげな人はいっそう楽しげに、悲しげな人はいっそう悲しげに映る。
その元旦から、はや二週間が経とうとしている。これと言って、楽しげな人も、悲しげな人も見当たらない。ただただ、いろんな人がいる。もう、すっかり日常である。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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