迫害の居酒屋(閉鎖的コミュニティで成立する居酒屋に迷い込んだよそ者の話)

  2017/08/22

日本に日本人として生まれ育って、いわれのない疎外感を覚えることは稀である。少なくとも、白人社会における黒人のような、ナチス政権下のドイツにおけるユダヤ人のような壮絶な迫害は皆無と言っていい。

しかし、迫害の根は、あるところにはあるものである。それもまさか、お金を払う客として訪れる店でそのような目に遭おうとは、想像だにしなかった。

前々から気になっていた、もつ煮込み串が一本50円、焼酎の水割りが250円というような場末の居酒屋に行ったのである。店はネットのクチコミでも評判がよく、確かにいつのぞいてみても満席でにぎわっていた。それがようやく空きに巡り合えたのであった。

店内は、パチンコ屋の印象に似ていた。それぞれが好き勝手にがなり立てるようにしゃべっていてかまびすしい。くわえて、煙草のけむりで薄くもやがかかってもいる。コの字型になったカウンターの中央に調理場があり、大きなもつ煮込みの鍋が鎮座していた。そこで四十がらみと思われる、金髪に近い茶髪をした、黒のキャップをかぶったダミ声の店員と客とが、まるで数十年ぶりに再会した親友のように盛大に笑い話に打ち興じているのであった。

私と連れ合いとが腰を下ろし、瓶ビールをと注文した。すると黒キャップは急に口をつぐんで真顔になった。はあ、という感じで応じ、無言で瓶ビールを運んできた。ビールもグラスもよく冷えていて申し分なかった。しかし何か、それとは別に刃物にも似た冷たいものを感じた。

気のせいかもしれないと、私は思った。なにも、呼ばれてもいない誕生日会に勝手にやって来たというわけでもない。私はれっきとした客であり、私が常識的な振る舞いをし、お金を払う意志がある限り、私はそれ相当のサービスを受ける権利がある。

私は気を取り直し、名物のもつ煮込み串を注文した。黒キャップはまたしてもふっと我に返ったように黙り込み、「は?」か「あ?」の中間のような音声を発した。いや、もつ煮込みを、四本、と私は繰り返した。黒キャップは面倒くさそうにうなづいて、大きな鍋から四本ばかり抜き取った。それを私たちに出すが早いか、たちまち顏をぱっと明るくして他の客とまた大げさな身振り手振りで話し始めた。

さすがに私でも場の空気を察した。事実、私たちが席についてからも客足は途絶えず、入り口でのぞく客があろうものなら、「だいちゃん! ごめん! 満席なんだ! また!」とか、「おお、のぶさん! 久しぶり! ほら、みんないっこずつ席つめて空けてやって! イス取りゲームの要領! げらげらげらげら!」と、ほとんど病的とさえ思われるような愛想と陽気さで接客しているのであった。それが、私たちに対してとなると、前に食い逃げした客がのこのこやって来やがったとでもいうような胡散臭い目つきで、てめえに呑ませる酒はねえと言わんばかりの冷淡なあしらいなのである。

それでも、料理はうまかった。酒だってそうだ。しかし、その場で過ごす時間に比例して、一様に腐るようにまずくなっていった。黒キャップはダミ声で馬鹿話を続けている。店の外から眺める分には、元気で快活な、人好きのする店員と映るに違いなかった。

その間、黒キャップの背後で流れていたテレビは、延々と熊本の地震のことを伝えていた。それははじめこそ陰惨なニュースと抜けるように明るい店員とで、皮肉なほど鮮やかなコントラストを演出していたが、しかし、店を出ようとするころには、なんのコントラストも感じられず、ほとんど同化して区別がつかなくなっていた。

お会計は、ふたりで二千円だった。本当なら、きっと安かったと喜んで、また来ようとも思ったはずだ。しかし、後味の悪さだけが残った。もう二度とは来ないだろうと誓うように思った。もっと、大げさではなく、大切な人に裏切られでもしたような鋭い傷つきさえ感じていた。

閉じられたコミュニティの中、顔見知りや常連で面白おかしく十分に成り立っているのはわかる。それは結構なことで立派でもある。ただ、よそ者でも客は客である。曲がりなりにも居酒屋という開かれた営みをする以上、老若男女問わず、最低限のサービスを提供するべきであろう。

私は居酒屋というものをこよなく愛しているからこそ、なおのこと苦々しく残念に思った。それを差し引いたとしても、人は不当な扱いをされたと感じるときには、想像以上にたやすく、そして深々と傷つくのである。冒頭の黒人やユダヤ人の境遇に比すべくもないけれども、かつて公園の水道やバスが黒人専用などと分けられていた憤りや哀しみには、遠からず一脈相通じるものがある。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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