WEBとリアルの身体感覚(ネットに翻弄されるデジタルネイティブ世代、あるいはバカッター)

質問したい。あなたは大学の職員である。学生が不祥事を起こし、懲戒処分の掲示を依頼された。〈ホームページ〉または〈学内の掲示板〉、いずれかでいいということである。さて、あなたならどちらに掲示するだろうか。

私なら、まず間違いなくホームページを選ぶ。そのほうが断然楽だからである。しかし、ある種の人たちにとって、WEB・インターネットの敷居は想像以上であるらしい。現実の掲示板にはなんの抵抗もなく掲示を張り出せるのに、ネットとなると途端に二の足を踏むのだという。――とある大学のWEB管理者の談である。

その方は首をかしげて言った。「ネットで下手なことをすると、全世界に発信されてとんでもないことになると思ってるわけです。だけど、昨今のスマホの使い方からすると、リアルに掲示したものだって、学生がパシャッっと一発写真撮ってSNSに挙げれば全世界から見られてしまう。結局、同じことなんですよ」

ああ、なるほどなあと、私は深く首肯した次第である。思えば、私はネットの世界の敷居を忘れて久しい。というのも、私はここ十年、WEB業界にぶら下がってメシを食ってきたからである。そこへきて、先の話はひどく新鮮であった。

確かに、そのおばちゃんーーネットに暗い人を想定すると、失礼ながらそうなるーーの気持ちはよくわかる。たとえば、何か間違いがあった時、ネットで公開したが最後、もう取り返しがつかない。それは恐怖に違いない。

地方のしがないラーメン屋のぺらぺらの張り紙が即座に拡散するような時代である。かつての〈公共の場〉は、暴力的に拡張した。というより、その公共の度合いを極限にまで高めた。かつてよほどの犯罪者でもない限り、居住地域を移せばどうにか人生をやり直すことができた。しかし現代ではたとえ万引きなどの軽犯罪でも、ひとたびネットにアップされれば、完全に消しようもなく無限に拡散し永遠にアーカイブされ、日本全国、あるいは世界の果てまで逃げようとも生涯後ろ指を差されかねないのである。

この状況は、人類が初めて経験するものである。そのせいか、今の現実に身体感覚が追いついていないのではないだろうか。以前頻発したコンビニのアイス用の冷蔵庫に入って涼んでみたり、店の醤油さしを鼻に突っ込んだりするというバカッター(面白いからとTwitterにバカな投稿をする人)は、その象徴のように思えてならない。

彼らは、生まれた時からパソコンやスマホに囲まれて育ち、完全にそのテクノロジーを使いこなしているかのように見える。しかし実際は、その底知れぬパワーに振り回されているのではないだろうか。友人限定のLINEのグループチャットだから、何を書き込んでもどんな画像をアップしても問題ない。あるいは、Facebookで友達しか閲覧できない設定にしているから、プライバシーは保証されている。このように考える〈デジタルネイティブ世代〉は少なくない。

なるほど、よくわかりました。今後は個人間のメールでのみ自由にしますーー。物わかりのいい人なら、そのように答えるかもしれない。しかし、突き詰めれば何らかの通信が発生する時点で、その情報は漏れる可能性があると考えてかかった方がいい。それは、メールの送信相手を選択する時、ほんの数センチ、あるいは数ミリ違う場所をタップするだけで、まったく別の相手に届いてしまうことを考えればわかることである。たとえいくら自分が気をつけていても、他者のミスまではコントロールできない。そうしてリスクは無限に存在する。

そのように考えることは、もはやテクノロジーの知識を越えて、酸いも甘いも噛み分けた〈大人の分別〉に限りなく近いものである。それを子供に求めるのは酷であり、そもそも無理なことであろう。

そこで我々は、バカッターのように若気の至りでは済まない失態を演じる〈生け贄〉を捧げて、その実例に恐れおののきながら学ぶ他ないのではないだろうか。かつて枯れ葉材や毒ガスが、際限なく使われて多くの人を殺し、悲惨な後遺症を残し、そして初めて禁止となったように、である。

そう考えると我々は、ときに現れる「人を殺してみたかった」というような人間を手放しで非難することはできないのかもしれない。私たちの歴史は、実際にやってみて、そしてまた考える。つまりトライ&エラーの上にしか成り立っていないのであるから。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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