歌丸と祖父
歌丸が亡くなった。歌丸? 誰それ? というような人にはお引き取り願いたい。歌丸が息を引き取っただけに。
さて、私にとって、彼は日曜の夕方の人であった。そしてその横にはいつも祖父がいた。
祖父という形容が似合わない人だったから、以降「じいさん」と呼びたい。
いつでもじいさんは、地元の甲類の焼酎「だるま」をちびりちびりやりながら、笑点を見ていた。
じいさんはしばしばむせた。べつに胸を病んでいたわけではない。笑わされて噴き出すから酒が気管に入るのだ。
たぶん、笑点一回あたり、ゆうに十回はむせ返っていた。たぶんあれで寿命が縮んだんじゃないかと思う。
現に、後年じいさんは喉頭のがんになり声帯を切除して啞の人になったから、あながち誇張とも言えない気がする。
と、ここまで書いて、「歌丸と祖父」なんて銘打ったものの、歌丸にそれほどの思い入れもないことに気がつく。
ただ、骸骨だとか、死に損ないだとか、そんな言葉でいじられていたのをよく覚えている。
確かに、骸骨に似ていた。でも、いくら似ていても骸骨そのものではなかった。あくまでも死に損ないであって、彼はしっかり生きていて死んではいなかった。
ただでは死にそうにないから笑っていられる。それが本当に死んでしまうと、なんだか、おもしろくない。
こう、ふっと我に返るような、興ざめのする感じ。じいさんが死んだ時もそうだった。おもしろくなかった。
人が死んでおもしろいわけがないだろうと思う向きもあろうが、だいたいの死はおもしろい。
ニュースやなんかで出会う死は、たいていおもしろい。おもしろいから、すぐ忘れる。
おもしろくないことは、長く覚えていて忘れない。
よい人は、いっそ二人分死ななければならないのかもしれない。おもしろいことがひとつ減り、おもしろくないことがひとつ増えた。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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