ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

アメリカのホテル

ホテルに泊まるのが好きだ。

旅行が好きなのではない。たとえ近所でもホテルに泊まること自体が好きなのだ。日の高いうちからチェックインして、とりとめもない時間を過ごしたい。

しかし金のかかることなので、それなりの理由がいる。今回はExpediaで貯まっているポイントの有効期限が近いことをその口実とした。

ホテルにこだわりはない。安い順のリストの上から3番目くらいを選ぶ。税込みで68ドル(約7500円)。日本ならまともなビジネスホテルが望めるが、ロサンゼルスでは雨風がしのげる以上の期待をしてはいけない。とまれ、ポイント分を割引いても6000円程度なので、期限云々はこじつけでしかない。

そのホテルを訪れたのは日曜の昼下がりであった。ダウンタウンにあってアクセスは悪くない。外観はくたびれ倒れそうであるが、近辺の穏やかならぬ治安が鞭打つので、かろうじて直立を保っているような感じである。

入り口の階段に黒人の子供が座り、携帯ゲーム機で遊んでいる。ちらと私を見て、すぐに興味なさそうにゲームに目を戻す。

中に入り、受付に向かう。南米系の男が予約の有無を聞いてくるが、くぐもっていてよく聞こえない。互いを隔てるアクリル板の仕切りのせいだ。その分厚さは水族館の深海魚エリアを思わせる。半端な銃では刃が立たないだろうが、そこまでして盗るものがあるとは思えない。

チェックイン可能な時刻を1時間は過ぎていたが、部屋の準備に10分ほど待つように言われる。エントランスとも呼べないスペースに、薄汚れたソファが2、3置かれている。腰掛けて待っていると、酒の小瓶を持った男が外に出ていく。どう見ても客というより住人である。

続いて五十がらみの男が現れて、よう、と声をかけてくる。私と向かいのソファに倒れ込むように座る。医者に見てもらうためにマイアミからロスに来ていて、かれこれ4、5日泊まっているらしい。すでにリタイアしているというが、何の仕事をしていたのかはっきり言わない。大学の専攻を聞いてみると、変え過ぎて覚えていないと笑う。

準備ができたと受付の男が叫ぶように言う。私は立ち上がり、存在自体が胡散臭い男とおざなりに握手をして別れる。

部屋番号は402だが、エレベーターが見当たらない。それもそのはずで、入り口が普通の部屋のドアと見分けがつかない。そこを開けると、もう一つ古い映画で見るような鉄製のアコーディオンカーテンが現れる。これを手動で開け、行き先の階を押す。

近ごろ聞かない大仰な機械音とともに動き始める。4階に到着し、再びドアを手動で開ける。と、出口上部のむき出しの壁に「4」と、荒く鍵で傷つけたように書いてある、というか刻んである。確かに用は足しているが、不吉でしかない。

402号室に向かう廊下の途中、また別の子供が通路をふさぐように足を伸ばしてゲームに興じている。ごめんよと言って彼の足をまたぎ、部屋に辿り着く。ドアは開いており、中では清掃のおばちゃんが床にモップをかけている。つまり準備はまだできてない。

入ってもいいか尋ねると、優しげにうなづく。お愛想でどのくらい働いているのかと聞くと、英語はあまりわからないと困ったように言う。間もなく出て行ったはいいが、モップがけされた洗剤の臭いがきつくて閉口する。吐き気がするほどで、窓を全開にする。

向かって正面の窓から外を見ると、鉄くずだらけの車の修理工場が目に入る。右手の窓からは、落書きに蹂躙された裏小道が見下ろせる。そこをホームレスがカートを引きずっている。遠景に目をやると、銀行などの高層ビル群が、カリフォルニアの陽光を受けて威張り散らすように輝いている。中景にはアメリカの国旗が呑気に揺れていて、こちらとあちら、持てる者と持たざる者との間に境界線を引いているかのようだ。

小便をもよおしてトイレに行く。ドアを閉めて腰かけると、正面に「HIGH RISE(高層)」というステッカーが貼られている。ここはたかだか4階であるし、あらゆる意味で低い場所なので自ずと皮肉めく。風が流れてきて、斜め後ろの小窓が開いているのに気がつく。見上げると、隣接するビルの屋上の柵に黒いゴミ袋が引っかかっていて、気が触れたようにはためいている。そのビルの壁面には、柵の影が牢屋の鉄格子のように濃く落ちている。足元に目をやると、小さなゴキブリがサッと排水口に消えた。

部屋に戻っても、めまいのするような薬品臭が薄まる気配はない。なんとなくナイトテーブルの引き出しを開く。空っぽで、聖書は入ってない。確かに、神や仏に用のある気取った人間は来そうにない。夜には臭いが消えていることを願いながら、窓を開け放したまま出かけた。

日をまたぐころ、タクシーでホテルに戻った。降りると、売春婦のような、しかしその春にはもう値がつかないだろう女がつまらなそうにタバコを吸っていた。ここに泊まっているのかと聞くと、いや、住んでいるんだと言う。言葉が継げず、あいまいにうなづいておいた。

ホテルに入ろうとして気がつく。入口脇の窓ガラスに、白いスプレーで「Foam(泡)」と落書きされていることに。それを詩的な意味で受けとって妙に感じ入った私は、たぶんかなり酔っていた。

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