日本人とアメリカ人の距離

彼はアメリカ人である。生まれも育ちもアメリカなので、純アメリカ人と言っていい。

彼とは長く一同僚に過ぎなかったが、つい最近、友人になった。それで休みの日も会うようになった。二人で教会に行ったり、海に行ったり、飲みに行ったりした。

彼は一年ばかり日本に住んだことがある。交換留学で明治大学に行っていたそうだ。たった一年の滞在にも関わらず、彼の日本語能力は恐ろしく高い。留学以前に、ほとんどの日本語はアニメを見て学んだという。

とはいえ、母語である英語を話す方が楽には違いない。日系企業の社内では日本語がメインだが、休みの日に会う時はもっぱら英語である。

しかし私の英語も完璧ではないので、表現しがたい時は日本語が混ざる。聡明な彼はそれを汲み取って理解してくれる。だからお互いの間には、いわゆる言葉の壁というものはないに等しい。むしろ日本語と英語の間を自在に行き来して、母語話者同士よりも豊かでさえある。

たとえば、彼は最近「舌鼓を打つ」という言葉を知った。彼はこれをとてもおかしいと笑う。直訳すれば「beating your tongue drums(舌ドラムを叩く)」じゃないかと。日本人である私の思考からは、「舌鼓」という単語から太鼓やドラムといったイメージが欠落していることに気づかされる。このような尊いとしか形容しようのないやり取りは数え切れない。

先日、改めて日本での留学経験について聞いた。彼をそれを「Horrible(ゾッとするほどひどい)」だったと顔をしかめた。アメリカ人の白人である彼に近づいてくる人はいくらでもいた。だけど彼らはただ英語を話したがっていて、つまり練習台として接しているに過ぎなかった。あるいはガイジンに対する好奇心からで、友情とはほど遠いものだった。それが彼をいたく傷つけたらしい。

私は思わず恥じ入った。私はずいぶんと無遠慮に、「これって英語でどう言うの?」なんてしょっちゅう聞いていたからだ。それはきっと、折に触れて彼の苦い記憶を呼び起こしたろう。

それから、東京の人は嫌いだとも言った。彼らはすぐに人をジャッジして見下す。だが、沖縄や福島など、地方に滞在した経験は素晴らしかった。彼らは「私を私として扱ってくれた」と目を細めた。

つまり、と私は言った。学校では見世物のピエロのようだったけれど、地方の人たちは素朴であたたかかった――。彼はそんな感じだと日本語で答えたが、不意にそれを打ち消すような早口の英語で、You know、それは確かにそうなんだけど、日本でガイジンとして扱われることに疲れたというか、外国に住んでたらわかるだろ? 外国にガイジンとして暮らすってことは、母国の代表として見られる面があって、だからぼくは常にアメリカ人として立派に振る舞わなくちゃいけなかった、それはなかなかしんどいことだよ、日本の文化は好きだけど、もうあそこには戻りたくない。

私は彼の言いたいこと、その気持ちを、言葉通りの意味においては完全に理解することができた。その分と言うべきか、彼との間に横たわる絶対的な距離を感じて落ち着かなくなった。

おそらく、この距離感の正体は人間の本質に根差すものだ。往々にして我々は、ひとり勝手に自分の言いたいことを「完全に伝えた」と思うし、「完全に伝わった」と思い込む。話したことの意味が通じることと、それがどう受け取られるかはまったく別の問題にも関わらず、である。

その思い込みのままに、人は勝手に悲しむし、怒り出すし、果ては絶望さえする。そんな独り相撲は、外国人とのコミュニケーションではまず起こらない。なぜならあらゆるディスコミュニケーションを言葉の壁のせいにして納得し許容できてしまうからだ。

母語話者同士には、そんな便利な理由がない。だから、わかるだろ? なんでわからないの? と言外の了解を求める。はっきり言って、それはコミュニケーションの手抜きでしかない。長く連れ添った恋人や夫婦はしばしばこの状態に陥る。

私が外国人を好きなのはそのあたりにある。そもそものコミュニケーションの困難さから、とても手を抜くことなどできない。そのおかげでいつまでも相手に対して真摯でいられる。

長いような短いような沈黙のあと、日本人は、と彼は大きな主語を立てて言った。どれだけ仲良くなってもガイジンをガイジンとして扱うよね。

自分は違うと喉まで出かかったが、正直、何が違うのかわからなかった。確かに、そうだね――典型的な日本人のうすら笑いを浮かべているのが自分でもわかった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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