差別用語に見る真理ときれいごと
2020/02/05
おほぉ、ブルースカイ。
天気がいいって表現に飽きたので横文字にしておいた。
さて、今日のお題は昨日ご本を読んで知ったことわざの話。
癩の瘡恨み
みなさん、このことわざを死って、じゃなかった知ってますでしょうか。というかそもそも読めないと思います。ええ、ぼくももちろんそうだったんで調べてやりました。
そもそもその本の作者も意地が悪いようで、大学の講義でこのことわざを引き合いに出したら誰ひとりとして意味はおろか読めもさえしなかったそうで、しかもその本での締めくくりは「興味のある方は自分で調べてみてください」って書いてあって、思わずオイ!ってなりました。
興味あるから本読んどんじゃぼけぇ、と思ったけど投書するほどの元気はないのですかさずグーグル先生にご教示願いました。
まず読み方は「かったいのかさうらみ」。そして「かったい」とは「ハンセン病」のことで、「かさ」は「梅毒」のことである。
この時点ですでに強烈な内容そうだということがおわかりいただけただろうか。それではもう一度ご覧いただこう、もう一度、もう一度、って特命リサーチ200X?だっけか、実家でよく見てた番組の言い回しを思わずしてしまったが、全体の意味としては「ハンセン病の人は梅毒の人をうらやましいと思う」ことである。
なぜハンセン病が梅毒の人をうらやましがるのかを理解するためには、ハンセン病と梅毒がどういう病気かを知っておく必要がある。
【ハンセン病】
ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen's disease)またはハンセン氏病は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。病名は1873年にらい菌を発見したノルウェー人医師アルマウェル・ハンセンの姓に由来する。以前は「癩(らい)病」とも呼ばれていたが、現在ではこの名称は差別的であるとして用いられない。感染はらい菌の経鼻・経気道的による感染経路が主流であるが、伝染力は非常に低い。現在では治療法が確立しており、重篤な後遺症を残すことも自らが感染源になることもない。2007年の統計では世界のハンセン病新規患者数は年間約25万人であるが、日本人新規患者数は年間0から1人と稀になった。『適切な治療を受けない場合は皮膚に重度の病変が生じることがあるため、患者は古来から差別の対象となってきた。』
【梅毒】
梅毒(ばいどく、Syphilis。黴毒、瘡毒(そうどく)とも)は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマ (Treponema pallidum) によって発生する感染症、性病。 in vitroでの培養は不可能のため、病原性の機構はほとんど解明されていない。1998年には全ゲノムのDNA 配列が決定、公開されている。また、理由は不明だが、ウサギの睾丸内では培養することができる。〜中略〜『昔は鼻部の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損になる』ことがあり、川柳などに詠われていた。江戸時代の夜鷹(中世の日本で売買春を目的に辻に立った遊女)などには『鼻欠け』が多かったので、川柳にも『鷹の名にお花お千代はきつい事』があった。勿論"お花お千代"とは"お鼻落ちよ"に掛けた。
(各項ウィキペディアより引用。『』は引用者による)
『』の箇所に注目していただきたい。このふたつの病気はどちらも顔面の変形などがともなう病気なのであるが、ハンセン病は顔全体が変形するのに対し、梅毒は基本的には鼻が無くなるだけで済んでしまうのである。
だから、これはつまり「ハンセン病のおれはこんなに顔面がぼっこぼこでばっきばきのぐちゃぐちゃなのに、梅毒の野郎はちょっと鼻がかけるくらいでうらやましい」と、こういうわけである。つまり、自分より少しでも境遇がマシな人のことをうらやましいと思うこと、五十歩百歩のようなことなのである。
ちなみに、ハンセン病はその病変(外見上の変形)の恐ろしさから忌み嫌われ差別され、らい予防法という法律のもとに強制隔離されていた(しかしウィキペディアの記述にある通り伝染力は非常に低く、本来は隔離の必要性はない)。そしてそのらい予防法が廃止されたのは、なんとつい最近の1996年になってからのことなのである。
こういう歴史を知ると、近代や現代(無条件に輝かしい感じのする語感も含め)なんてのも、ほんとうに薄っぺらいものだなあと思う。
でまあ、「癩の瘡恨み」のニュアンスはしっかり理解していただけたと思うが、それにしてもなんて強烈なことわざだろうと思う。このノリでいいなら、なんだってことわざになりそうだ。って、いろいろ書こうと思ったけど一瞬にして頭の中が下ネタで満ち満ちたのでやめておく。
長々と説明してきたが、この「癩の瘡恨み」は現代では差別表現として禁止されているようであるので、あまり公衆の面前では言わないほうが身のためである、って、このブログも十分すぎるほどに公衆なのだが。ちなみに放送禁止の表現である。
しかし、幼年のころより祖父からありとあらゆる差別表現「かたわ」「めくら」「ぎっちょ」「びっこを引く」などを日常的に浴びるように聞いてきたぼくとしては、こういう表現にこそ人間としての奥行き、リアリティ、善も悪も、喜びも悲しみも、優しさも残虐さも包含した人間存在が実感できるように思われるのだが、しかし、このような主張でいる限り、昨日書いたばかりの夢のPTAのお手伝いなどとは無縁であるし、町内会では回覧板が飛ばされ村八分もいいところである。
というか、PTAに参加したいなんていうピースな気持ちと、人間なんてものはかたわでめくらでクソったれだというようなデカダンスな気持ちの両方がなんの問題もなく共存してるぼく自身がとてつもなく人間らしすぎてびっくりする。まったく、ぼくはこの世の人間の人間としての正しいあり方のお手本のような人間です、おお、素晴らしき人間その名は新宅睦仁、というコペルニクス的転回でいつものように自画自賛に辿り着いたところで本日のブログはお開き。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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