いろんな意味でサーカス
オランダの夏も終わるころ、村にサーカスがやってきた。
サーカスという楽しげでにぎやかな語感とは裏腹に、静かだった。毎週末のファーマーズマーケットの方がまだ活気ある。
そもそも場所が問題だ。首都アムステルダムから電車で30分ほどの片田舎にある、ありふれたスーパーの駐車場。
数日前、買い物帰りにサーカスとおぼしきトラックの一団が駐車場を占拠しているのを見た。次の日にはサーカス小屋が建っていた。しかしそれらしい音楽もなければ看板も出ていない。とにかく静かなのだ。
私はトラックに書かれていた「Banira (仮称)」という単語に、「Circus」をつけ加えてネットで検索した。「国立サーカス Banira」というWebサイトがヒットした。
オランダ語から日本語への自動翻訳の問題かもしれないが、日本人は「国立」という言葉に弱い。実はすごい団体なのかもしれない。
私はそのままネットでチケットを予約した。お値段22ユーロ (約3500円)。
予約完了の自動返信メールには、「お支払いについては別途連絡いたします」と書かれていたが、結局、予約当日になってもなんの連絡もなかった。
とはいえ近所も近所、徒歩で1分くらいの場所であるので、予約当日、直接現地、というかスーパーの駐車場を訪れた。
画像素材で「サーカス小屋」と検索すれば1ページ目に出てくるだろう、いかにもレトロなサーカス小屋の入り口に、気持ちばかりピエロに扮した腹の出た中年男性が立っていた。
スマホで予約画面を見せると、「あっちの受付に行って払ってきてくれ」という。
そこに行って、再びスマホの画面を見せる。くたびれた感じの中年女性が、ノートに手書きで書かれた名前のリストから、アジア人っぽい名前で検討をつけたのだろう、「Tomoni Shintaku?」と聞いてくる。
そうだと答えると、私の名前に斜線を引く。便利なデジタルが、末端でアナログに逆戻る。結局手間は変わらない。DX、いわゆるデジタルトランスフォーメーションに失敗するのは日本だけではないのだなと、妙に納得する。
「24ユーロの席か、22ユーロの席か」と聞かれる。これまたネットの利便性台無しの事案である。なぜネットの予約時に選ばせないのか。
説明を聞いても何が違うのかよくわからなかったので、22ユーロの席を頼む。
サーカス小屋に入る。100人も入ればすし詰めだろう客席のうち、3分の2程度が埋まるかどうかというところである。
日差しの強い日で、空調のない小屋の中はやや暑い。とはいえ、エアコンのない家がふつうのオランダなので、不快というほどではない。
そしてサーカスが始まった。
性急な最近の人のために結論から言おう。全体的に、素人目に見てもクオリティが低い。世界にいくつサーカスの団体があるのか知らないが、その中で、世界ランキング76492番とか、そんな感じである。
冒頭は、ブロンド女性の空中ブランコ。高度な技でもなければ、キレがあるわけでもなく、むしろ命綱がないことを本気で心配するレベルである。目の前で死亡事故が起きないかとひやひやする。
ネコ、イヌ、ヤギが出てきて、ちょっと細い棒を渡ったり、演者の足の間をくぐったり、ごく低いバーを飛び越えたり。動物ふれあいパークかなんかで、子供が1時間くらいで仕込めそうな芸をドヤ感たっぷりに見せてくれる。
それから、細身の男性が出てきて、足を背中に回したり、テニスラケットに身体を通したり、小さな透明の箱に小さく納まって見せたり、いわば軟体びっくり人間ショーみたいなのもあった。なるほど、とんでもなく柔らかい人間だ。
特筆すべきは、客いじりが多いこと。ただ、マジックのショーなんかの、観客をステージにあげてリアリティを高めるような演出とは毛色が異なる。
サーカス小屋の入り口に立っていたピエロ風中年男性(あれは本番のメイクであり、衣装であった)がその筆頭で、彼が出てくると、決まってひとりかふたり、客を選んでステージに立たせる。
たとえば、観客のひとりに風船を持ってくださいと言って、それを渡す瞬間に割って驚かせてみたりといったやりとりがあった。
他愛ないと言えば他愛ないが、昨今の社会規範を考えると、本気で驚いて卒倒したりしたらどう責任をとるのだろうかと、制作側の狙いとは全然べつだろう次元ではらはらした。
もっと動揺させられたのは、観客を巻き込んだドタバタ劇の果てに、ピエロ風中年男性が観客の女性をステージの幕の裏側に連れ込むという演出である。
すかさずムーディな音楽が流れ(いかにもヤってますという演出)、そして戻ってくる時には赤ちゃんを伴って、その観客の女性をママと呼ばせたのはさすがに引いた。
確かに会場は爆笑していたが、果たしてこれは笑えるものなのだろうか。
実際、その女性が自席に戻っていった際、彼女の子供だろう、10歳かそこらの女の子が複雑な険しい表情をしているのを、私は見た。感じやすい少女時代に、おふざけとはいえ、自分の愛する母親がよその男性とヤるという演出に感じたであろう気持ちを思うと、胸が痛んだ。
最後は誰でも一度は見たことがあるだろう、ナイフ投げであった。典型的なブロンド女性を壁の前に立たせ、マッチョな白人男性がナイフを投げる。
しかし、ご想像の通り、彼の技術に問題があるのは明らかだった。少なくとも、4、5回はナイフがうまく壁に刺さらず、床に落ちた。落ち方によっては、女性に刺さってもおかしくない。
そんなだから、見ているこっちが嫌な汗をかかされて、冗談抜きで怖い。いやいや、ナイフ投げこそ、スリルを楽しむものだと思われる向きもあるかもしれないが、それは確かな技術のある演者が行う時に生まれるお約束、いわば予定調和を楽しむものであって、これはスリルではなく不安である。
幼児が刃物で遊んでいるのを見るのと同じで、危なっかしくて、是が非でも止めたくなる。そんな気持ちをスリルとは呼ばない。
そんなこんなでフィナーレとなり、例のコンプラ違反のピエロ風中年男性が笛とラッパを陽気に吹いて、とにかくはみんなありがとう! また来てね! という雰囲気に仕立て上げられて幕を閉じた。
サーカス小屋を出ると、ちょうど夕方の5時ごろで、私は暑気を払うべく行きつけのバーに向かった。
バーテンダーに、サーカスに行ってきたと話すと、「割引券があったのに」と、くやしそうに言う。
私が、とても面白かった、あれは有名なのですかと聞くと、「あれね、人気ないのよ。楽しんでるのは子供だけ」とつれなかった。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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