アメリカで家を借りるまでの話(後編)

『アメリカで家を借りるまでの話(前編)』はこちら

四件目はゲートコミュニティ*にあるフィリピン人一家のお宅の一部屋だった。出迎えた典型的なアジア人らしい壮年男性は、シングリッシュ(シンガポールで話されている訛の強い英語)を彷彿とさせる英語を話した。
*ゲート(門)を設け周囲を塀で囲むなどして、住民以外の敷地内への出入りを制限することで通過交通の流入を防ぎ、防犯性を向上させたまちづくりの手法。(Wikipediaより)https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲーテッドコミュニティ

「アントニオってんだけど、気軽にトニーって呼んでくれよ」と彼は言った。私の名前のトモニと音の感じが似ていると言うと、オーイエスイエスとわざとらしいほど陽気な笑い声を上げた。

部屋は家具付きで適当な広さだったが、バス・トイレは共用となり650USD。奥さんと娘の三人で住んでいるというから、そこに入り込む身としてはホームステイにも近い。案内しながらトニーは、自分はすでにリタイアしているが、妻は病院で働いていること、娘は子供が三人いるが離婚しており、子供とはたまに外で会うだけなのだとかいう、そこまで伝える必要はないだろうということまでざっくばらんに語った。

先の世知辛いアメリカ人を思えば、その違いは明らかであった。これがアジア的気質というものなのかもしれない。全面的にウェルカムという雰囲気に、私はここに決めようという気になって身の上を説明した。まだ来たばかりでソーシャルセキュリティナンバー*も銀行口座もないこと、さらには初期費用の支払いが入居日までに間に合わない可能性もあること。しかし彼は、オーケーオーケーと言って肩をたたき、大丈夫だ、心配すんなと平気なのであった。
*アメリカ合衆国における社会保障番号(Wikipediaより)https://ja.wikipedia.org/wiki/社会保障番号

彼の態度に畏敬の念さえ覚えて私は、いきおい即決するところであったが、もう一件ばかり内見の予定があった。それで明日まで返事を待ってもらうことにしてその場を後にしようとした、その時、台所の床に犬のエサ皿のようなものが目に入る。

「This Is dog?」――むろんそれは犬ではなく犬のエサ皿なのだが、とにもかくにも私は、歩道を犬が歩いてくれば車道に下りるほど犬嫌いなのだ。聞けば平日だけ別にいる娘の犬を預かっているのだという。事情はどうあれ、私は真剣に犬恐怖症であることを伝えた。しかし彼は「おもちゃみたいなかわいい犬だよ」と犬の画像を見せてくる。が、おもちゃではない。ナマの犬である。「でかくない、ノープロブレム」だと彼は笑った。私は青ざめた。

私にとって嫌いな上司と寝泊まりするほど苦痛な犬という障害を乗り越えられるかどうか、私にはちょっと自信がなかった。しかしアメリカくんだりまで来たのだ。生まれてこのかた37年、忌避し続けてきたことにチャレンジしてみるのも悪くないかもしれない。

翌日訪れた家は、、日本人向けサイトの「びびなび」で見つけたものだった。それで当然日本人だろうと思っていたが、しかし出迎えたかっぷくのよい婦人はネイティブと変わらない流暢な英語を話した。

部屋に通され、簡単な説明を受ける。マスタールームで895USDプラス光熱費の50USDで計945USD。希望通りの部屋ではあったが、いかんせんモノが多い。なんならフルサイズの応接セットがどんと置いてある、部屋というより物置の感がある。

しばしよもやま話を英語で聞いていると、ふいに「あなた日本語しゃべれるの?」と言い、私がうなづくと、「じゃあ別に英語でしゃべる必要ないじゃない。もうこっちにきて50年以上たつから、どっちしゃべってるか、もうよくわからないのよ」などと言う。日々英語に四苦八苦している身としては、なんの自慢だよと毒づかないでもない。

しかし本番はここからであった。彼女は自分の息子がいかに優秀か、そして他に住んでいるルームメイトらがいかに真面目で素晴らしいかを延々と語った。確かに彼らは社会的な地位はもちろん高給取りであるようだった。しかしそれはそれとして、私にはなんの関係もない。黙って金出せババアという荒んだ気持ちにもなってくる。が、それがほとんど30分近くに及ぶと、頭の中は二周三周して、私は自分がどうしようもなくさえない男のようにも思われてくるのだった。

ようやくで一段落してババ…彼女は、もう一部屋あるから見せましょうと言って立ち上がった。と、どこからともなく犬が現れる。私はのけぞった。吠えこそしないものの、足元にまとわりついてくる。気持ちが悪いし恐ろしいことこの上ない。私が平静を装いつつ必死で逃れようとしていると、「あなた犬嫌いなの?」と聞く。見りゃわかるだろと思いながら答えると「困ったわねえ、投稿に書いてなかったかしら、困ったわねえ」と困惑したような顔をする。むろん困っているのは圧倒的に私の方である。それからなんとなく会話がぎこちなくなって、私は適当に話を打ち切って退散した。

その場を離れて1分後には、例のトニーにあなたの部屋に決めた旨を返信した。やはり犬のことだけは心配だったが、なぜかどうにかなるだろうという気がした。部屋探しに疲れていたのかもしれない。返信はすぐにあった。「ようこそ新しい家族」と、いかにも歓迎していて温かった。こうして私のアメリカでの家が決まった。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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