シンガポールの葬式
2019/11/16
友人の母親が亡くなったことを知ったのは、ひさしぶりに開いたグループチャットでのことだった。
私は英語でもってお悔やみを述べた。すると彼は、葬式の日取りや場所を記し、都合がつけば来てほしいと言った。
それは翌日で、かつ平日だった。むろん仕事であったが、私はそれを押して出席することを決めた。
勘違いしないでほしい。友情だとか愛だとかいう美しい気持ちからではない。強烈な興味と好奇心が私を突き動かしたに過ぎない。
海外に住んでいたとて、そうそう現地の葬式になど出席できるものではない。私はしょせんよそ者だ。
考えてもみてほしい。あなたに外人の、意思疎通も怪しいレベルの友達がいて、そんなやつを自分の母親の葬式に呼ぶだろうか? それこそ「NO」であろう。
この僥倖(思いがけない幸運)よ! アーメン! とばかりに翌日、私は葬式に駆けつけた。
葬儀会場は、団地の中庭に張られた白いテントであった。昼下がりの南国の強い日差しのもと、しめっぽい雰囲気は微塵もない。むしろ運動会のような楽しげな雰囲気で、その一隅に花に包まれた棺桶が置かれている。
まずは喪主に挨拶を、と、思わず閉口する。彼はまったく普段着の短パンにTシャツだった。なんならリュックまで背負っていた。
この体たらく、日本ならば親不孝のそしりは免れないだろう。しかし見回せど、そもそも喪服などというしみったれたようなのはただの一人もいない。つまり、彼はこの地で至ってノーマルで、むしろ私がおかしいのであった。
とまれ、しばらくお茶を飲んで談笑する。そこへ霊柩車が到着する。しかしこれ、ヤンキーの車といった方がいいようなミニバンで、窓にはなぜかブルーのスモークがかかっている。ゆえに運び込まれる棺桶に悲壮感はなく、ヤンキーがニトリで家具でも買ってきたといった感じである。
参列者は別途用意されていた貸切バスに乗り込んで、ヤン車に導かれて教会へと向かう。
さすがに教会はおごそかな雰囲気で、線香の代わりにたかれる乳香と、読経の代わりに読み上げられる福音の中、すすり泣く人も散見された。
その足で、火葬場へと向かう。あまりにも近代的なそこは、何もかもが自動で、最後の最後、棺桶が釜に入れられるのすら全自動で、人の手の入り込む余地はなかった。
それを参列者は、何かスポーツでも観戦するような二階席の「ビューイングルーム」で、遠くガラス越しに見送るのであった。
そしてさっさと帰る。誰も焼き上がるまで待たない。「これが喉仏です」などという骨拾いは、実に日本的な儀式でしかなかったことを知る。
ちゃんと焼けるかどうか、もっと、無事にあの世へ昇って行かれるかどうかなど、どうでもいいのだろうか?
帰りのバスの中、これでは一種の姥捨て山、いっそゴミでも捨てにきただけのようにも感じられたが、あの世もなにも、天国も地獄も国の数だけあり得よう。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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