サイクリングに行かないか(後編)
サイクリングに行かないか(前編)のつづき
2時間ほどのののち、それが冗談ではなかったことを知る。現実にマリーナベイサンズに到着してしまう。私の頭にあったサザエさん的な牧歌サイクリング像は、競輪選手の太ももに取って替わられていた。しかしよく考えれば、彼女らの履いているスパッツはまさに本気のそれであって、決して冗談ではなかった。私ただひとりが、ふつうのズボンでサイクリングを、否、競輪を舐めていたに過ぎないのであった。
私は疲れ果てていた。いっぽうの彼女らはいたって元気で、自国民のくせに何が珍しいのかマリーナベイサンズをバックにやたらとセルフィー(自撮り)を撮りまくっている。聞けばセルフィーこそがサイクリングの目的だとさえ言う。呆れる私をよそに、あなたも入れと腕をつかまれ、しかと記念写真に収められる。
気違いじみたセルフィーがひと段落したころには、とうにディナーだと聞いていた時間は過ぎていた。この来た道をまた戻るのかと聞くと、帰りは早いとフィリピン人が言う。なるほど、自転車は乗り捨て、電車か何かで戻るのかと期待した私が馬鹿だった。それは単なる行きは遠く感じるが、帰りは早く感じるという心理の話を言っているに過ぎなかった。
物理的に帰りの時間が早くて短いなら、あらゆる輸送手段において行きと帰りの運賃が違うはずであるが、あいにくそんな話は聞いたことがない。かろうじてアインシュタインが時間は伸び縮みすると言っているくらいのもので、仮にそうだとしてもこの世でそんな気軽に時間に伸び縮みされては、二時間飲み放題の居酒屋など早晩消えてなくなるはずである。
私はひたすらに自転車をこいだ。人生でこれほどに自転車をこいだことは、ちょっと記憶にないし、そもそも必要がない。さらには途中、雨にもたたられて、しかし彼女らは「blessed rain(恵めの雨)」だなどと言って楽しげなのであった。
心の底から思う。外人というのは、文字通り外の人で、だからこそ外人と呼ぶのだと。華の金曜日に、これほどに自転車をこぎまくりましょうと考える神経が、私にはとても理解できない。しかし外人は外人で、草野球という名の飲み会や、飲んだあとにちょっと打ちっ放しに行くというような発想が理解できないのかもしれない。我々もまた誰かの外人には違いないのだから。
そうしてディナーにありついたのは、深夜の零時を回ったころだった。私はほとんどキレていて、やけくそでビールをあおった。それはうまかったろうと思ったら大間違いである。どこの誰がフルマラソンのゴールにビールを用意するものか。水の方が必要かつうまいに決まっているだろう。酒とは本来的に余裕を持って飲むものであって、肉体のリアルな渇きには水が一番なのは脳みそが無くてもわかることだ。
それから家に帰りついたのは二時も近かった。どうにかシャワーを浴びてベッドに倒れ込む。卒倒しそうな疲労と眠気の中、改めて思う。どこの誰が、金曜の夜にサイクリングに誘われて、9対1の割合でサイクリングさせられると思うだろうか。1割こそサイクリングであって、9割がた飲むに決まっているだろう。普通に考えりゃわかるだろ? でも、そもそもの普通が違うんだ。なんてったって、あいつらは外人だから、まるきり、ぜんぜん違うんだ。
翌日、私は謎の高熱に見舞われた。と言っても、謎でもなんでもない。息も絶え絶えになりつつ。土曜の聖書勉強会へ欠席の連絡を入れる。まもなくきた返信には「God bless you」とあって、私はもう、ため息しか出ない。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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