ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

避コロナ地

  2020/04/25

ここではないどこかに行きたい。

人はそういう生き物で、会社にいれば家に帰りたく、家に帰れば外に出たい。

しかし裏を返せば、どこかに行けるから、ここにいられる。もしどこにも行けない、行ける可能性が全然ないとすれば、ここにいることが苦痛になる。たとえどんなに快適な場所でも、である。

なぜならここにいることが「選択」ではなく「強制」になるからだ。選択肢があることは即ち自由であって、人は自由な時に初めて息をつく。

たとえば避暑地。庶民には用がないと思われる向きもあろうが、そのような場所が存在することが重要なのだ。どうかすれば一週間くらい暑さを逃れて羽を伸ばせるという選択肢が存在すること。

まあ、おれの状況じゃ行けるわけないんだけどさ、ハハッ、なんて安居酒屋で笑うだけだとしても、その選択肢があることで人は安心し、いま自分のいる「ここ」を受け入れることができる。

翻っていま、コロナ禍から逃れられる場所など、もはや地球上のどこにもない。選択肢それ自体がないことは奴隷と同じであって、だから人々はみな苦痛に喘いでいる。

なんていやな世の中だろうと思うが、「草枕」の一節を改めて読み返すと、いくらか気がまぎれるかもしれない。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

夏目漱石「草枕」(青空文庫)

選択肢があると思うことは、そもそも幻想でしかないのかもしれない。どこにも行けない。ここで生きていくしかない。そう諦めて観念した時、詩が生れて、画が出来る。

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