偽らざる所感

最終更新: 2017/08/22

シンガポールに来て3ヶ月が過ぎた。

その間、あまりにもいろいろなことがあったような気がするが、それは多分にまやかしで、ひとつひとつを振り返ってみれば別にたいしたこともない。自分自身についても同様で、何か大きく変わったようで胸を張りたいような気もするが、しかし実際は相も変わらず凡なままである。

とはいえ、海外に住む日本人は日本国民の1%だというから、ちょっと勘違いすれば選民的な悦に入らなくもない。しかしいざ自分がその立場になってみれば、別に偉くもなんともないということが嫌でもわかる。馬鹿げた選民思想と同じで、人間の価値が人種や宗教で左右されるはずもない。

問題は何を為すか、ただその一点にある。むろん私は何も為せていない。それでも唯一、ひとり密かに為したと思えることがある。

こちらに来て最初の日のことだ。ひとりチャンギ空港に降り立った私は、右も左もわからない中、30キロ超のキャリーバッグを引きずって歩いていた。道を尋ねるにも、まず英語を調べ、それを何度か口にしてからでなければ叶わなかった。ようやくで予約していたインド人街のカプセルホテルに辿り着いたが、そこでは自分の名前さえも通じなかった。

ホテルの中は、正午近いというのにやけに暗くて、静かだった。寒いくらいにクーラーが効いていた。プラグマティックな棺桶のようなカプセルベッドに横たわると、なぜだか母方の実家の豆腐屋の匂いがした。それはひどく懐かしくて、自分がいま外国にいるのだということを、ほとんど痛みとして感じさせた。

外国に対する免疫がないといえばそれまでだった。12、3歳のころにサッカークラブの遠征で韓国に、それから18歳の時に高校の修学旅行でシンガポールに来たことがあるだけだった。それから15年以上、海の外には縁がなかったし興味もなかった。

すこし眠ろうかと思ったが、頭が冴えてとても眠れそうになかった。しょうがないので外に出た。荷物を置いて身軽になったせいか、さっきまで非現実的なハリボテのようだった光や空気、あたりの情景が、急に三次元的に立ち現れてくるようだった。そのリアリティと、これからここで生活していくのだという気持ちが、どうして頭の中ではうまく一致しなかった。

電車に乗って、夕方から内見予定の物件のある駅に向かった。電車内には、ただのひとつも見慣れたものがなかった。肌の黒いの白いの黄色いのが乱立し、その間隙を中国語だか英語だかマレー語だかのかまびすしい音声がパテのようにもれなく満たしていた。

4つか5つの駅をやり過ごしたころ、私は不意に喉元を締め上げられるような窒息を感じた。——なぜこんなところにいるんだ? 血の気が引くと同時に焦燥感が込み上げる。それはちょうど、子供のころ押入れかどこか暗闇に閉じ込められた時のようなパニックだった。無理だ! 誰か助けてくれ! あるいはSF映画で飛行士が宇宙空間に投げ出されたような圧倒的な恐怖が私を貫いた。冷や汗が吹き出し、息荒く過呼吸のようになって、私は一も二もなく次の駅で下車したのだった。

そんな日があったことを、誰も知らない。知る由もない。私は常々、死ぬことを思えば恐れるものなど何もないと大口を叩いてはいるが、たぶんそれは私の本性の裏返しであって、そのように振る舞うことで抑え込まれている私があるのだろうと思う。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、かつて母に父に散々からかわれたように、今でも私は間違いなく臆病で小心者なのであって、それが今では誰もまさかそうとは思わないのは、人は人間の内面よりもなお、行動の方をこそまさにその人だと考えるからであろう。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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