私の書く理由(ブログを書き始めて10年あまり)
2019/05/30
人は折に触れて、自分が何故それをしているのか理由を問い直したくなるものらしい。そういうわけで、今回は私が文章を書き続ける理由を考えてみたいと思う。
まず言えるのは、金のためではない。というかまったく金にならない。あわよくばとアフィリエイト広告を設置しているとはいえ、その収益たるや月に缶ジュースが2、3本も飲めればいいほうで、一向に具体的な利益には繋がらない。
その一方、このブログにかける労力と情熱は、ほとんど日毎に増大の一途を辿っている。つまり、いわゆる”コスパ”で言えば最悪なのである。
しかし、それでも書く。書けば書くほど、もっといい文章が書きたいと欲するようになり、もっといい表現はできないものかと悩ましくなる。とはいえ、我ながら言ってみれば”単なる日記”に、何が悲しくてそこまで入れ込む必要があるのだろうかと思わなくもない。しかし、最近殊に思うのは、いつの間にか私のブログに対する取り組み方が、単なる個人的な出来事の記録や心情の吐露を越えて、何か普遍的なものを志向し始めているということである。
私という人間の日常は、言うまでもなくドラマティックでもなんでもなく、ありふれたつまらないものでしかない。しかし、そのふつうの日常を真摯に生き、感じ、観察し、そして文章として注意深く書き起こそうとする時、なにがしかの普遍性を紡ぎ出せるのではないか。もっと大げさに言えば、”永遠性”を獲得できるのではないか。
実際、ごく稀にではあるが、私の考える”永遠性”なるものの裾にでも触れたように感じる時がある。その時、これまた大仰な表現ではあるが、”自分の魂”としか言えないようなものが抑えきれない悦びに打ち震えてしまうのだ。
たとえば、最近書いた「偶然の始まりと絶対の終わり」という記事の、以下の部分などがそうである。
『死にかけの祖母は今日も元気だろうか。生まれたての甥は今日も元気だろうか――。そう思いを馳せるとき、私の頭の中で光速よりももっと速いスピードで両極にすっ飛んでゆく二つの光がある。』
特に”すっ飛んでゆく”という表現がほとんど無意識に出てきた時、私は私自身を神がかっているようにさえ思われた。なぜなら、普段そうそう”すっ飛んで”などという、どちらかというと間の抜けた感じのする表現は用いないにも関わらず、ここにきてなぜかそのような表現がするりとこぼれ落ちた。それは、よくよく推敲してみても、”突き進んで”でも”駆け抜けて”でも、あるいは”ふっ飛んで”でもなく、やはり”すっ飛んで”でなければならないのだった。
現実の出来事、そこで感じたこと、思ったこと、考えたこと。それらに適切な語を与え、言葉を組み合わせ、そして文章として”最適な”組み立てが為された時、私という個を越えた、いっそこの世そのものと呼べるような真理にアクセスすることができる。
”真理にアクセス”なんて物言いは、ややもすれば胡散臭い宗教的なにおいを振りまいてしまいかねないが、しかし、これもまたそのようにしか表現することができない感覚なのである。
人類が初めて言葉を操り始めた瞬間から現在に至るまで、それは相も変わらずひとつの魔術なのだと思う。先日読了した【読書案内―世界文学(岩波文庫) サマセット・モーム / 西川正身・訳】のあとがきで、翻訳者の西川正身がまさにそのように述べている。
『白い紙の上にならんだ文字がひとを感動させる。これは依然として人類の発明した最大のマジックなのだ。紙の上の文字を読んで、泣く、笑う、これはほとんど奇跡なのだ』
そう、私は言葉というマジックを信じてやまない者である、愛してやまない者である、そして求めてやまない者である。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
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2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
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