人生とエンジョイ

生まれて初めてマッサージなるものに行った。クチこみによると、そこのお店はいくらか整体的でもあるとあったが、整体にも行ったことがないので判断のしようがない。

とにかくは、足を揉まれ、肩を揉まれ、首を揉まれ、とにかくは揉みほぐされた。気持ちよかったと言えばまあその通りなのだが、それよりも何より、人は金で動くんだという生々しい実感の方が大きい。

たかだか$60(約4,200円)かそこらで、こんなうす汚いおっさんの足を舐めるように揉みほぐすなど、私にはちょっと正気の沙汰とは思えない。しかし世の人々はこの手のマッサージをごく当たり前に利用しているらしいから、こんな感慨を抱くのは私だけかもしれない。

とにもかくにも私は、終始(こんなことをしてもらって、私はいったい何様なのだろう)などと案ずるとも恐縮するともつかない心持ちであった。一方、もしかすると人生をエンジョイするとはこういうことなのかもしれないとも思う。

店を出ると、日が暮れかけていた。歩きながら、ぼんやりと思う。ひょっとすると、私は今の今まで本当には人生を楽しめていなかったのではなかろうか。

そのような思いにとらわれて向かったのは日本式の居酒屋であった。シンガポールでは酒も高いが日本的なものもまたべらぼうに高い。しかし人生のエンジョイなるものが金で買えるなら買えばいいだけではないか。それで私は、好きなものを飲み、好きなように食べた。占めて$120(約9,600円)。

いきおい帰りはタクシーを捕まえて、$20(約1,600円)。シャワーを浴びて、床に入って、思い返す。マッサージと居酒屋とタクシーでざっと$200(約16,000円)かかったわけだが、果たして私はエンジョイできたであろうか。否、そのような疑問が浮かんでくる時点で否である。

あるいはブッダが王族に生まれたのは、故のないことではないと思う。現代を生きる我々は、すでにかつての王族も腰を抜かすような暮らしぶりなのである。富んで、倦んで、そしてさまようのは、ブッダが王族を捨て旅に出るくだりそのままではないか。

次の日、私はまたタクシーを拾う。それで会社に向かう。(私はいったい何様だろうか)ふたたび思う。電車なら$2で済むところが、$20かかる。わかりやすく10倍のコストがかかり、それで10倍の満足が得られたかと言えばそんなはずもない。

ふっと人生の果てが見える。これから先、どんなに富んだとしても、このような暮らしと大差ない。そう思うと、何のために生きていくのだろうかという、あまりにも稚拙な、しかし永遠の問いが頭をもたげてくる。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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