イメージが支配する
シンガポールは多様な人種の住まう多民族国家である。ちょっと電車にでも乗ればそのことはすぐに実感として了解される。
日本とは異なるその状況は、漠然と自由と平等のイメージを私に与えていた。しかし近頃、怪しんでいる。それは単なるイメージに過ぎなかったのではないか。
疑念の起こりは、街角の工事現場にある。そこでいわゆるブルーカラーの仕事に従事しているのは、マレー系かインド系か、とにかくは必ず肌の黒い人たちなのである。かろうじて黄色い人は二、三度見たような気もするが、こと白人に限ってはただの一度も見たことがない。
それはなぜか。黒人系の人々は暑さにも紫外線にも強く、また身体的能力も高いことから、適材適所の合理化を推し進めた結果自然とそうなった、というわけではもちろんない。社会的な構造が、そのような状況を作り出しているに他ならないのである。
それはひとつの解決すべき不条理であろうと、私は思う。しかし、誤解を恐れず正直に言えば、彼ら黒人にはそれがどうにも〈似合い〉だと感じてしまう自分が打ち消しがたくあるのである。
「似合う/似合わない」という表現は、しばしば軽々しく扱われるが、違う。それは実に、我々を支配していると言っても過言ではない。
想像してみてほしい。赤道直下の炎天下、白人がその白い肌を真っ赤に日焼けさせて、肉体労働に従事しているところを。あるいは、いわゆる第三世界で、飢えて骨と皮ばかりの身体で食料配給に並ぶ白人を、その子供を。
きっと、想像できないはずだ。少なくとも、そのイメージは鮮明ではないはずだ。しかしそれを黒人に置き換えれば、我々のイメージはたちまち色も形も鮮やかに、もっと、映像として動き出す。
それが「イメージの限界」というものであろう。そして人は誰も、イメージできないことを現実とすることはできないのである。
私は今日も彼らを見た。日本の三菱のトラック、その荷台にすし詰めになってどこか現場に運ばれてゆく彼らを。むろん、みな黒い。それが現実だ。しかし、そこに黄や白が等しく混ざる日を想像せよ、嘘くさくてもなんでもいいから、想像せよ。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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