まま袖すり合う知的障害者たちに思う

  2016/04/17

ふつうに電車に乗っていた。路線はなんでもいいが、まあ、昨日は東京メトロ銀座線であった。ふつうに神田から稲荷町に向かっていた。ぼくはドア付近に、ふつうに立っていた。

目の前には、ふつうの女子校生二人が、ふつうの会話をしていた。ぼくはふつうに目的地に到着するのを待っていた。そこへひとりの男がふつうじゃない感じで割り込んできた。ぼくも、女子校生も、すこし驚きつつ場所を空けた。彼は、ふつうじゃない感じで、ドアのガラス窓に頬をぴったりとくっつけて、窓外を凝視し始めた。

それから彼は意味不明な言葉、というより音を発した。うはぁとか、ぎょほっとか、ぐへえとか、そういった音を、発した。

「マリーナっ!」

彼は叫んだ。ふつうじゃない感じで。つまり、異常な感じで。

「マリーナっ! マリーナっ! 味の素っ!」

叫びは続いた。すでに、ぼくはもちろん、女子校生たちも、ああ、そういう人かと了解した感じで、さらに2、3歩ほど後ずさり、彼と距離をとった。

「味の素っ! 味の素ぉぉぉぉ! ポッカポッカ!」

ポッカはたぶん”pokka” で、飲料メーカーだよなあと、ぼくは思った。

「うはぁ、ぐへぇ、食べたぁぁい!」

何がどうなってそうなるのかわからないが、おそらくは味の素とポッカの何かしらが、彼の好物なのだろう。まあ、そんなことはどうでもよくって、彼はいわゆる知的障害者であろうことは、車内に居合わせたすべての人が、暗黙のうちに了解したことであろう。

それにしても、いまだにこの知的障害者と呼ばれる人々に対して、どのような感情を持って、どのように接すればいいのかわからない。一般的な大人は、どのような心持ちで、このような人々を見ているのだろうか。

憐れみを感ずればいいのか、慈悲の心を持って見守ればいいのか、明日は我が身だと思えばいいのか、それよりもただ実践、手でも取って何かしらのサポートをするべきなのであろうか。いや、他の健常者と同じように、単なる風景として意識しないことこそがよいのだろうか。

まあ、答えはいろいろあるし正解もないのだろうが、ぼくとしては、いまだに下卑た好奇心でもって眺めてしまう。それから、自分の子供がああだったらどうしよう、というか嫌だなと考えてしまう。

率直に言って、自分の子供は五体満足であってほしい。発育も、精神も、人並みであってほしい。むろん、誰も好き好んで知的障害者を産み落としたわけでも産まれてきたわけでもないだろうけれども、願わくば、正常であってほしいと思う。

それこそ世のすべての親の当然の願いであろう。しかし、願いは願いであって、どのようにしても一定の確率で知的障害者は産まれてきてしまう。それはナチスの虐殺で行われた事例を引き合いに出すまでもない自然の摂理で、人間にはどうしようもないことだろう。

神は乗り越えられる試練しか与えないとか、言う。たとえ知的障害者だとしてもきっと立派に育ててくれるあなたを親として選んでこの子は産まれてきたんだよとか、言う。いろいろ、そういうことを、言う。

わかると言えばわかるけど、なんだかなあと思う。でも、そうでも思わなきゃやってらんないんだとも思う。ちょっと想像するだに、親をはじめ、周囲の人々は大変だよなと思う。いやいや、一番大変なのは本人ですよなんてことを言われそうだが、いやしかし、本人は自分が置かれている立場すら明確には理解できていないのだろうから、大変もクソもないのではないか。

こういうことをつらつらと書くと、差別だとか偏見だとかなんとか言われそうだなあと思う。でも、みんなただ口にはしないだけで、特に一般的な”マトモな”大人ほど腫れ物のごとく見てみぬふりをして、それについては不自然なほど話そうとしない。

ぼくとしては、この世に話してはいけないことなど無いと思うのだが、まるでそれを口にしたら何か災いでもふりかかるかのように、ただ距離をとって、黙殺する。

頭の悪そうな女子高生ですら、すでにそのような態度が完成されているのだ。別に、知的障害者についてもっとオープンに論じろなんてことはまったく思わないが、みんな、心の中ではどう思っているのだろう。何も思っていないわけはないと思うのだが、そのあたりについての持論をしっかりともって、赤裸々に話す人に出会ったことが、32年ほど生きてきたが、いまだに皆無と言っていいほどで、なんか、不思議で、ちょっと、不気味でもある。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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