きみはザブGを知っているか

一時帰国中、広島の実家にいる間、足繁く通う銭湯がある。

いや、実は本物の温泉が出ているので「温泉」と呼ぶべきなのだが、どうしてもそう呼ぶことができない。

はす向かいにイオン、隣にサイゼリア、はま寿司と、俗物街道とでも呼ぶべき立地だからである。日本の心である温泉が、回転寿司の茶の湯みたいに気軽に出るわけがない、いや、出てはいけないのである。

入湯料は480円 (露天風呂も利用する場合は1050円)。それでも、白湯にジェットバス、電気風呂など十分くつろげる。

中でも私が滞在時間の大半を過ごすのは「ぬる湯」である。

名前の通り、熱くない。ぬるい。3メートルかける3メートル程度のこじんまりとした風呂で、いかにも脇役ですという感じで隅の奥まった場所にある。

私はこの風呂の縁に腰掛けて、足湯よろしく、ぼんやり考えごとをするのがもっぱらである。

とはいえ、まずはふつうの熱い湯につかる。その後、ジェットだかの泡が出る風呂にごく短時間つかる。そこから視界の端で、ぬる湯の様子をかいま見る。

混んでいる時は、人がはけるのを待つ。人気のない風呂なので、すぐに空く。あるジイさんがいる時を除いては。

初めてそのジイさんを見たのは、もう3年前かそこらになる。その日、私はいつものようにぬる湯の様子を伺っていた。

彼は、頭に折り畳んだタオルをのせた古典的スタイルで、風呂の中ほどの側壁に設けられた段差に腰掛けていた。いつまで経っても上がる気配がない。

と、おもむろにジイさんが立ち上がった。壁の方を向き、しなびたケツをこちらに向ける。そして、ぬる湯の中央奥にある、大理石の円盤形の給湯口の上部に両の手をかけた。そしてゆっくりと、上下運動を始めた。

そのスクワットのような動きによって、風呂の湯がさざ波立つ。小さな風呂なので、さざ波はまもなく大波になって、ざぶん、ざぶん、湯が外へ溢れ出る。

私はあっけにとられながらも、ジイさんの上下するケツに釘付けになった。不承不承、40年あまり生きてきたが、このような光景はいまだかつてお目にかかったことがない。

それは、ゆうに5分は続いたろうか。ようやく上がるのかと思いきや、ふたたび風呂の中の段差に腰掛ける。この時はまだ、それがエクササイズにおけるインターバルであるとは知るよしもなかった。

インターバルの間に、他の客が入ってくる。すると、彼はいかにもウズウズするといった感じで、他の客の様子を見るともなく見ている。本人は平静を装っているつもりであろうが、はたから見れば、明らかにさっきの筋トレをやりたがっていることは明らかである。

事情を何も知らない他の客はまもなく出ていく。すると、すかさず筋トレを再開する。ケツが上に、下に、さざ波、大波、ざぶんざぶん。

結局その日、私はぬる湯に入るタイミングを逃すことになる。つまり、ジイさんのケツをずっと見ていただけであった。

この世は不条理なもので、望んでもいない、嬉しくない再会ほど早い。3日と経たないうちに、また例の筋トレをやっている現場に鉢合わせた。

私は彼の行動パターンを理解した。そして確信した。これが世に言う「迷惑行為」であると。

確かにジイさんは、人がいないタイミングを見計らってやっている。しかし、よほど空気が読めない人間でなければ、そんなわけのわからない行為、ジイさんがケツを上下させてザブザブやっているところに入っていこうとは思わない。

つまり、常識のある人がその迷惑行為者に対して遠慮、もしくはドン引きしているだけなのだ。

4回、5回、6回と遭遇すると、だんだんと腹が立ってきている自分に気がつく。どう考えても迷惑だろうと。その忌々しきジイさんを観察する中で自然と口をついて出た言葉が、ザブザブじじい、即ち「ザブG」である。

名前は単なる記号ではない。かのドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは「言葉は存在の家である」と言ったが、その通りである。人間は言葉を通じて初めて存在を理解し、世界を認識する。

そう、私は「ザブG」と名付けることによって、彼を完全に捕捉した。すると、私の脳内で暴言が頻発するようになった。

人間は抽象的な匿名の誰かを憎むことはできない。たとえば、藁人形に「迷惑な老害ども」などと曖昧な対象を書いて釘を打ちつける人はいない。呪うならば、あくまでも「田中ジジイ何某」や「中村ババア何某」といった個別具体的な誰かなのである。

そういうわけで、「ザブG」と命名して以来、私はいよいよ嫌悪感を募らせた。――「またザブGがいるじゃねえか」「ザブGの滞在時間ビョーキだろ」、果ては「クソザブG、ここはジムじゃねえ、家でやれ」、「迷惑ってことに気づけよクソ老害ザブGが」。

どうやら、そう思っていたのは私だけではなかったようで、ある日、とうとう係員に注意されていた。彼の言い訳は「ほかのお客さんがいる時はやってませんから」であった。

その理屈が通るなら、誰もいなければ風呂で泳いでもよいことになる。そんな戯言が許されるのはせいぜい小学生までで、三途の川を泳ごうかというジイさんなど論外である。

案の定、以降もジイさんの迷惑行為が止むことはなかった。今日も今日とて、無駄に元気はつらつ、見るに耐えないケツを上下させてザブザブやっている。

私はもはや諦めて、「ザブG」という新種の妖怪だと思うようにした。人間でない妖怪に常識を求める馬鹿はいないから、なんか心が落ち着いた。

何かしら思った方は、ちょっとひとこと、コメントを! 作者はとても喜びます。

わかりやすく投げ銭で気持ちを表明してみようという方は、天に徳を積めます!

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

最新のブログ記事一覧を見る

ブログ一覧

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2025 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.