酒に魂を売った男
オランダに住み始めて以来、通っているバーがある。
その名も「My Way」。フランク・シナトラの名曲なんかではなく、アクの強い女性店主が離婚ついでに「我が道を行く」という思いで命名したらしい。
そこは日本で言うところの「場末の居酒屋」で、平日でも16時には必ず誰かいて、早くも飲んだくれている。
3年前だったか、My Wayを初めて訪れた日のことはもう記憶にない。ただ、私はこの村に住む唯一の日本人なので、奇異な目で見られたことだけは確かであろう。
今となっては誰もかれも顔なじみで、むしろ見かけない客が来たら、逆に私が奇異な目で見やる方になっている。そういうわけで、行けばいつでもみな明るく出迎えてくれる。
私は「Hoi! (こんにちは)」と言いながら、カウンターの奥の方にある自分の定席に座る。たいてい常連客らが何かしらの話で盛り上がっているが、私は滅多にその輪に入らない。
いや、入れないと言った方が正しいかもしれない。そもそも彼らはオランダ語でしゃべっているので、ほぼ理解できない。むろん、英語で話しかければ英語で返してくれることはくれる。
しかし、母語ではない言葉を話すのはオランダ人にとっても楽ではない。オランダ人の英語力は非英語圏で世界トップクラスだが、特に年配の方など、英語が不得手もしくはほとんど通じない人もいる。
そして何より、英語レベル世界ランキング最下位付近をうろついている日本人の私にとって、英会話は、利き手ではない手で箸を持って味つけ海苔をご飯に巻いて食べるくらいには難しい。
たとえある程度はできても、英語で話したり聞いたりするには気力が必要なのだ。日本語であれば、ボケーッとしていても周囲の会話が意味のあるものとして耳に入るが、気のゆるんでいる時の英語は無意味な雑音にしか聞こえない。
ドラゴンボールの悟空あたりが気を高めシュワシュワいっている状態を想像してもらえばいい。あの状態になって初めて必殺技よろしく英語を使うことができるのだ。
しかし、酒を飲むにつれて気力は低下していくため、酩酊した時には自分でも何を言っているのかよくわからなくなることもしばしばである。
閑話休題。
底辺層の酒場にキャラの濃い連中が集うのは世界共通である。おそらく、トルストイの「アンナ・カレーニナ」の有名な一節、「幸せな家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。」は、「家庭」だけでなく「個人」にも当てはまる。
語るべき客はいくらもいるが、My Wayの「住人」とも呼べるのが「ルード」である。
オランダの白人男性で、身長は190cmを超える。私と同じ43歳。独り身、子なし、婚歴なし。ライフステージが同じというのもあるが、My Wayの客の中ではかなり英語が達者な方なので、折に触れて彼とはよく口をきく。
彼は庭師で、朝は早いが、終わるのも早い。毎日16時か、もっと前か、とにかくは彼より先にいる客を見たことがない。いつでも行けばそこにいて、常にバドワイザーのボトル(330ml)をラッパ飲みしている。
彼は延々と、途切れることなくバドワイザーを飲む。オランダではおごり合う文化があるため、人好きのする彼は、あっちからもこっちからもビールをおごられる。
ひどい時には彼の前に開栓されたボトルが3本も4本も並ぶ。日本人の私からすると、ビールは飲む直前に開栓すべきだと思うのだが、そういう細かいことは気にしないのがオランダの流儀である。
彼がバドワイザーを飲む時のクセがある。新しいビールのボトルを受け取ると、飲み口に人差し指を突っ込み、ポンッと音を鳴らすのである。
いささか子供じみているし、不衛生と思われなくもない。しかし、彼に対する好感が増すにつれ、いつしかそれは、My Wayという空間に欠くべからざる儀式的な、愛すべき効果音となった。
My Wayでは、ビールを割安で飲めるプリペイドカードを販売している。と言っても、電子的な気の利いたカードではなく、シンプルにハンコを押すだけのスタンプカードである。
通常は1杯または1本3EUR(約520円)で、50杯飲めば150EUR(約26,000円)となる。しかし、それを先払いで50杯分まとめてディスカウント価格の120EUR(約21,000円)で販売しているのである。
彼はそれを平気で一度に4枚も5枚も買う。だいたい、普段の飲み方からして半端ではない。
以前、1日にどれくらい飲むのか尋ねてみたことがある。1日10本は飲むとのことだったが、私は怪しんだ。酒飲みというのは、いくら酔っても「酔ってない」と言い張るのと同じで、とかく過小申告しがちな生き物なのである。
彼の飲むペースを見ていればわかる。日に20本はかたい。月換算すれば、20本 × 30日 = 600本。先のディスカウント価格ベースで計算すると、プリペイドカードが12枚で1440EUR (約245,000円)。
改めて計算してみると、正気の沙汰とは思えない。しかし、独身男性の金のかかる趣味のひとつと考えれば、許容範囲と言えなくもないが、酒の場合は遅かれ早かれおまけがついてくるはずだ。
いくら遺伝子的にアルコールに強い西洋白人男性と言えども、日夜繰り返される破滅的な飲酒行動によって、あの世への一本道が着々と舗装されていることだろう。
ある日、いつものようにバーを訪れると、ある常連客が血相を変えて言った。「ルードが大怪我をした」。
彼はルードからのWhatsAppのメッセージに添付されていた画像を見せてくれた。右手の親指の爪の縁から大きく裂けており、親指の第一関節までがまるごともげそうな状態で血まみれであった。
SNSに投稿すればアカウントが凍結されかねないグロ画像である。下世話な私は興奮して、何がどうなったのかと鼻息荒く尋ねる。
「あいつは会社の休暇を利用して、ビーチにある海の家でバイトしてたんだ。そこでロープを張るのに、木の杭を二人で打っていた。ルードが木の杭を手で支えて、もう一人はハンマーを振り下ろす。で、失敗してこうなったってわけさ。」
原因が単純なだけに、その瞬間があまりにもリアルに想像できてしまう。彼は続けた。「元通りになるのかどうか。予後が悪くて化膿したりすれば、指を切断することになるかもしれないな。」
野次馬根性あふれるゲスな私も、さすがに暗澹たる気持ちになる。
自席に戻ってビールを飲みながら、彼の気持ちを考えた。庭師にとって、なにより手指は大事だろう。あの大怪我だ、回復には相当な時間がかかるに違いない。仕事に復帰できるのか、どうか。
いつだったか、彼はこう言っていた。「どうせ家に帰っても、誰もいない。ひとりで酒飲んで、メシ食うだけで、おもしろいことなんて何もない。孤独とか、寂しいってわけじゃない。ただ、退屈なんだ。だからここに来るんだよ。」
まったくと言っていいほど同じ状況にある私は、彼の気持ちを共感とかいう安っぽいレベルを超えて理解できる。
43歳にもなれば、「孤独」なんて感情はどこかでうっかり落としてきたんじゃないのかと思えるほど、「寂しい」と思うことが無くなる。今より友達も人づき合いも多かった20代や30代前半くらいの頃の方がよほどしょっちゅう寂しさを感じていた。
「寂しい」という感情は、その寂しさを誰かで埋められる時にだけ感じられるものなのだと思う。そう、今となっては、誰にも埋められる気がしない。というか、埋めようとも思わないし、埋めてほしいとも思わない。ただ、そういう、ぽかんと空いている虚しい穴として放っておくだけ。
決して寂しいがために毎晩バーに通うわけではない。もしもバーによって寂しさがまぎれているのだとすれば、家に帰ればきっとまた寂しくなる。だけど、ぜんぜん、寂しくない。
時々、私はルードを自分の鏡のように思う。毎晩バーに来て、飲んだくれている、43歳の男。若さを加速度的に失いつつあり、人生のたかが知れてきている男。
この先、もうたいしたことはない。明日は今日とそっくりで、明日と明後日はほとんど間違い探しの世界線。人生がいつ終わってくれてもかまわない。投げやりとか、ヤケになっているとかいうわけではなく、ものすごく冷静に、そう思う。
とにかくは、あの怪我じゃあ、ルードはもうしばらく来れないだろう。
寂しくなる。感傷的な気持ちになってくる。逆説的に、その人の不在ほど、その人の存在を感じさせるものはない。彼がこのバーの雰囲気を醸成していたことを痛感する。
30分か、もっと、しみじみ物思いにふけっていると、不意にバーのドアが開いた。入ってきたのは他でもないルード、その人であった。
私は驚きよりも先に噴き出してしまった。さすがに馬鹿かよと思った。親指に包帯をぐるぐる巻きにして、今日、いましがた縫合手術をしてきた帰りだという。
ああ、こいつはきっと輪廻して人生何回やってもひたすら酒飲んでるに違いないと、私は感動すら覚えた。とりあえずルードにビールをおごってくれと、私は笑いながら言った。
続々とビールが届く。バドワイザーのボトルが並ぶ。ルードはいつものように、人差し指を飲み口に差し込んで、ポンッと鳴らす。
まったく、こいつは死ぬよ。きっとすぐ死ぬ。だけど、死ぬまで飲んだらいい。私も飲むから、死ぬまでは。

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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- 2025/07/01 更新 きみはザブGを知っているか
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*本ブログの連載記事「アメリカでホームレスとアートかハンバーガー」は、商業出版を前提に書き下ろしたものです。現在、出版してくださる出版社様を募集しております。ご興味をお持ちの方は、info@tomonishintaku.com までお気軽にご連絡ください。ブログ一覧
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