ほぼエッセイ、ときどき現代の美術とアート。

ちょっとした、美術の話

  2016/04/08

昨日、初台にある東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の『高橋コレクション展 ミラー・ニューロン』を見に行った。

村上隆から会田誠、草間彌生にヤノベケンジと、まあ、相変わらずの豪華なコレクションではあった。

私としては、未見のもののほうが少なかったので、それほど得るものはなかったのが正直なところである。それは別にいいとして、全体を通して漠然と感じたことがある。

コレクションの数々は、古いものでもおおむね2000年前後あたりの作品である。つまり、前時代では決してない現代の新しい作品ばかりである。

にも関わらず、どうもこの15年程度で、すでに絶対的な時の評価、時間による選別を受け始めているという”感じ”がするものがあった。つまり、もうすでに古くさい感じがするのである。

とはいえ、この”感じ”は実に曖昧なのである。どの作品がどのようにというわけではないのだ。もしかすると、よくよく検証すれば、そんな古くさい作品はひとつも無かったのかもしれない。一点一点の展示の流れや、あるいはその間をすり抜けてゆく隙間風のようなもの、もっと、気のせいでしかないのかもしれない。

しかし、ぼくが感じた”古くさいという印象”は、かなりはっきりとした、確信的なものであった。一方、この印象の出処のわからなさは、美術家を志す者のひとりとして、何か、とてつもなく恐ろしい、致命的なものであるような気がする。

古くさい、それを織り込み済みで、あるいは逆手に取って作品にするならそれでいい。しかし、この正体不明の古くささ。なんだかよくわからないけれども、古くさい、という印象、あまりにも感覚的な、古くさい感じとしか言いようのない”感じ”。

もちろん、未来、揺り戻しが起こり、いま感じた古くささが、まったく斬新に見える可能性が無いではない。しかし、近代までの芸術(基本的に確立された美の規範の中での格闘)とは違い、新しさの根拠、あるいは美の規範も含めて創造される現代アートの場合は、一度古くさいとされてしまったものは、もう二度と批評の俎上で返り咲くことはないのではないか、とも思う。

なぜなら、と考えてはみたものの、それらしい理屈が出てこないので諦めた。

とにかくは古くさくならない作品を作ろう、って、そんなことを計算ずくでコントロールできたら苦労はしない、という話である。

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