かつて、ろくな友達がいなかった
2015/07/03
きのう父と話していて、ひさしぶりにある出来事を思い出した。
「おまえが一番マヌケだと思ったのは、林に行ってから靴を盗られたことよ」
甥が保育園で転び、顔に派手に擦り傷を作っていた。その連想で、ぼくもよくケガをしていたものだという話になった。
林というのは林外科のことで、ぼくが子どもの頃からしょっちゅうお世話になっていた病院である。ぼくは骨を折ったり頭を切ったりすることが異常に多く、先生には「新宅さんまたですか」と言われるほどであった。
その林外科での出来事である。あれは確か中学1年か二年のころで、ぼくは美術の授業中に小刀が手の甲に刺さって縫うことになり、その後しばらく通院していたのであった。で、前述の話はそこに履いていった靴、買ってもらったばかりのFILAのグラントヒルというスニーカーを、通院の際に盗られたのである。
その頃はNIKE狩りなんかがあったころで、やたらとスニーカーが流行っていた。それはぼくの学校でも同様で、あのスニーカーが欲しいだなんだとよく話題になっていた。
そんな時分に、ぼくはFILAのスニーカーを買ってもらった。1万円くらいしたと思う。今考えれば、育ち盛りの中学一年生くらいの子供に、つまりは数か月でサイズが合わなくなってしまいかねないような子供に1万円の靴を買うなんてあり得ない、わらじでも履いとけといいたいところだが、しかし親は買ってくれたのであった。
それはともかく、うれしかった。学校には履いて行かなかった。もったいなかったし、盗まれたりすると嫌だったから。
だから、プライベートの時にだけ履いた。それで通院の際に、嬉々として履いていったわけである。
林外科はこじんまりとした病院で、一畳ほどの玄関があって、そばに備え付けの靴箱がある。そこで靴を脱ぎ、院内用のスリッパに履きかえる。待合室のどこに居ても、玄関や靴箱の様子が見えるごく簡素な作りになっていた。
その日は夕暮れで、診療終わり間近だった。患者はぼくひとりだけだったので、すぐに名前を呼ばれ、診察室に入った。もうだいぶ快方に向かっており、消毒して軟膏を塗り包帯を変える程度で、処置としてはせいぜい10分程度のものだった。
そのわずかな時間の間に、ぼくの靴は盗まれたのであった。看護婦にも一緒に探してもらったが、ついに見つからなかった。ぼくは泣く泣く、病院のスリッパを借りて帰った。
「スリッパで帰ったのは笑うたよ」
父はそう言って、懐かしそうに笑った。その一方、ぼくは事の真相を思い出して胸が痛んだ。
真相を知ったのは、それから数年後、高校1、2年のころだった。
その時分、ぼちぼち中のよかったKという友達が、何かの流れで、ぼくに話してくれた。実はあれは、ぼくと同じクラスだったHが盗んで、これもまた同じクラスのTに売ったというのだった。
それを聞いて、すべて合点がいった。手を切って林外科に通院しているのを知っている、新しい靴を買ったのを知っている、だからこそほんのわずかな時間に、ピンポイントで盗めたのである。
漠然と怒りがこみ上げた。Hはそもそもヤンキー崩れのクソ野郎だったからまだ分かるにしろ、事実を知っていて何もしなかったKもどうかと思うし、なにより最終的にその靴を手にしたTとは、中学時代、毎日一緒に学校に行っていたのである。
どういう経緯で入手したか知らないわけはないだろう。高校に入り交友が途絶えていたとはいえ、何もかもが嘘で、すべてに裏切られた気持ちだった。
次の日、ぼくは怒りにかられて、Tの家に電話した。電話に出たTに、Kから聞いた真実を突き付け、弁償しろと詰めよった。
Tは、おれは売ってもらっただけで、関係ないとつっぱねた。しばらく押し問答が続いた。和解の糸口はまったくなかった。あきらめて、電話を切った。
怒りか、悲しみか、心臓が病的な早鐘を打っていた。やりきれなかった。それはあまりにも不毛なやりとりだった。汚くて、浅ましくて、残念で、なんの価値も意義もない、救いようのないやりとりだった。
今現在、ああ、そんなことがあったから性格が歪んだんだねというような見方は易しい。しかし実際は、親友こそついにできなかったものの、特に人間不信になったわけでも、性格がひねくれたりしたわけでもなく、相変わらず、女々しくさえないゆるゆるとした性格で高校生活をやり過ごしただけであった。
もちろん嫌な思い出ではある。しかしそれは思い出した時にだけ嫌な気持ちになるのであって、普段は無かったことのようにすっかり忘れていて、平気で楽しくやっている。
フランスの小説家モーロアは言った。「忘却なくして幸福はあり得ない」。また三島由紀夫は「人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう」と。
とりあえずぼくの人生は、いまのところ充分に幸福だと思っている。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
-
読書記録
2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。
- 前の記事
- ファンタジーカムバック
- 次の記事
- つまるところ人生は、山あり谷ありと知る