ファンタジーカムバック
2020/08/19
シェーンカムバックにかけてみた。しかし実際にその映画を見たことはない。
さて、大人になると夢がなくなる、というのは一般論である。だからして変わり者のわたしには関係ない!と思うのだが、そこはしっかり一般人なので、確かに夢が無くなったと思う。
野心という意味での夢はあるが、湯たんぽのぬるさに似た牧歌的な感覚は歳を重ねるごとに薄れている。
身近なところで言えば、道端の草花その他もろもろにいちいち興味を抱いたり、空を無心に眺めてみたり、というか、何かに夢中になるということが無くなった。
いま、何かに集中するというのはせいぜいが頭の5〜6割が目の前の対象に注がれている状態であって、残りは全然べつのこと、たとえば今夜のごはんだとか、明日のことだとかを考えている。
すべてを"いまこの瞬間"にささげることができない。いろんなことに思いを巡らせて、結局のところ何ひとつまともに考えられてはいないような気がする。
明日のことなんてどうでもいい、という言葉からして、すでにどうしようもなく明日のことを考えてしまっている。
ああ、嗚呼、不自由になった。
というような悲しき大人の皆様をことさらにしんみりさせる記事があったので、ご紹介したい。
以下引用。
【憂楽帳:明日は来る?】
毎日小学生新聞に小学生のさまざまな質問に答える「疑問氷解」というコーナーがある。まだ答えられていない質問リストを見ていて「明日はどうやって来るの?」という難問にくぎ付けになった。
地球が1回転したらやって来るよ、なんて答えでは味気ない。
ある同僚記者いわく。「明日は永久に来ない。来たら今日になっているから」。明日は常に待たれるものか。うーん哲学的。ちょっと小学3年生の質問者には納得してもらえそうにない。
経済的視点なら「世界銀行によると全世界には1日に125円足らずで生活している最も貧しい人たちが12億人もいます。この人たちにとって、おカネと食べ物があれば明日は来る。きみの1カ月分のお小遣いがあれば何人もの子どもたちに明日が来るんだ」。説教臭い。
ここで私のぐうたらな心の声が「放っておいても明日は来るぞ」とささやく。でも待て。今シリアの多くの市民にとっては明日が来ることは自明ではない。
「夢や希望があれば明日は来る」と答えたいが、現実はとても厳しい。
あなたならどう答えます?【大野靖史】
(毎日新聞 2013年10月07日 大阪夕刊)http://mainichi.jp/opinion/news/20131007ddf041070039000c.html
引用終わり。
どう答えます? って、わたしが聞きたい。明日はどうやって来るの?って、阿呆の顔して聞きまくりたい。
そう、こういう質問をする"神経"を、わたしたち大人は失ってしまったのだと思う。あくまでも感覚ではなく神経である。感覚は取り戻すことができるが神経は取り戻すことができない。手前味噌で恐縮だが、わたしの割れた歯、抜髄して枯れ木となった歯が良い例である。神経は、一度失えば二度とは戻ってこないのだ。
それはともかく、もしも自分の子供が明日はどうやって来るの?と聞いたなら、ぼくはとにもかくにも抱きしめる。だって愛おしい。それから、延々と理屈をこねて話す。
まず、"来る"という時点で、それは具体的な何かで、確固たる存在としてある。ということは、まずは"どうやって"という方法ではなく、"どこに居るか"を考えなければならない。明日はどこにあるか。それさえわかれば、あとは徒歩なり車なり、風に乗るなり雲に乗るなり、まあどうやってでも来れるわけである。
明日はどこにいるのか。そういえば、そんな質問をする大人がひとり居た。あしたのジョーである(参考:力石戦の時18歳)。毎回しつこく、「明日はどっちだ」と叫ぶ。そしてただの一度も「明日はそっちだ」とか「明日はここだ」ということなく、「明日はどっちだ」で終わってしまった。
おそらくガッツ石松同様、殴られすぎで頭がパーになってしまったのだろうとお茶を濁しつつ、実際、けっこうまじめに考えても明日がどこにあるのか見当もつかない。たぶん、最終的には苦しまぎれに「いやー、普通に来るよ」と答えてしまいそうである。
しかし、適当な答えのようで、まんざらでもないかもしれない。
明日は普通に来る。そりゃまあそうだが、嫌な大人である。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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