とてもながい夢を見ている

最終更新: 2015/07/03

昨日は学校にて画像の通り中華の調理実習。たけのことしいたけのなんとかと、たけのこと鶏肉のなんとか。もはや料理名すら覚える気がない。

しかしひさしぶりに定食屋なみにおかわりをして、たらふく頂いた。というのも昨日から喉が痛く風邪気味なのである。決して悪化させるまじと、食でなんとかしようと貪っておいたのである。

そして家に帰ってすぐにお風呂に入り、加湿器をタイマーで4時間にセットして早々に寝た。と言っても23時半くらいであったが。

夢を見た。長くて、込み入った、今までを総括するような、夢を見た。

が、これだけ思わせぶりな前ふりをしたにも関わらず内容を覚えていない。うっすら、なんだかとても切なくて、悲しいような夢だったということだけは覚えている。って、人様からしたらそんなもん知るかいボケェという話であろうから素直に謝っておく。覚えていなくてごめんなさい。もうしません。

もうしません。どうでもいいけど「もうしません」っていう単語をそうとうに久しぶりに使った気がする。

もうしませんという言葉には、なぜだか虐待されて泣きはらしているような児童の画が思い浮かぶ。

食器を割ってごめんなさいもうしません、食べるのが遅くてごめんなさいもうしません、うんこを漏らしてごめんなさいもうしません。

適当に並べてみたが、別にしてもいいじゃねえかということばかりだと思う。

二度としてはいけないことって、そんなにあるもんじゃないと思う。何枚食器を割ってもよし、食べるのに何時間かかってもよし、そこらをうんこまみれにしてもよし。

で、ぼくのこういう文章の書き方の日の定番として、いつかの彼女のことを思い出した。

彼女宅にて、ぼくがお風呂あがりの汗がひかないうちに(身体はしっかり拭いている)ベッドに寝転がると、彼女は決まって怒るのであった。布団が湿気るといって、怒るのであった。

ぼくは反論した。湿気たら干せばいいだけのことやろ。そして汚れたら洗えばいいだけのことやろ。まったく怒ることじゃないわ。ばかばかしい。

まあ、家庭環境の違いだろうと思う。ぼくは親に、コップを割ったり、おねしょをしたり、勉強をしなかったり、ファミコンをやりすぎたり、そういったことで怒られたことが一度もない。少なくとも記憶には一度もない。

三つ子の魂百までというやつで、そんなだからぼくは、今でもコップを割ったりしてもやけに平然としていて、ごめんごめんと口先では一応は謝っていても心ではほとんど悪いとは思っていない。

そりゃあ割れるときもあるわ、手がすべるときもあるわ、破片を掃除機でしっかり吸っとけよ、え?何が悪いん? くらいにしか思っていない。

そのように育てられたことは非常に幸せだったと思う。がしかし、他の家庭とは確かに違うだろうし、そのせいで人の習慣や感覚とぶつかることもある。

その彼女と別れたあとにもらった最後の手紙には、「今は、湿気たら干せばいいだけで、汚れたら洗えばいいだけだと思う。なんであの時は理解できなかったのか」云々、といったようなことが書いてあった。

どちらが正しい、正しくないという話ではない。

そもそもどうでもいいことではあるが、人と人は、時にかように分かり合い難く、まるで人と人とは水と油のように感じられることもある。

分かりあいたい、分かりあえない、分かりあいたい、分かりあえない、分かりあえない、分かりあえない、分かりあえない。

やっぱり分かりあえない、としたらそのときは、さようならと、こうなるしかないのだろう。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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