突き上げるのはあなた
2017/08/22
朝ごはんを食べずに家を出た。
最近、ぼくは自堕落な状態に陥っているので、ぎりぎりまで寝ていたのである。
洗面、適当に服を着替えて、しかしお弁当だけは忘れずに、駅に急ぐ。そこから新宿まで2、30分、電車に乗っているとほどよくお腹がすいてくる。
何を食べようかと考える。とは言うものの、選択肢は恐ろしく貧弱である。むしろ二択である。カレー屋か、そば屋か、である。
新宿に着く。その日はカレーにした。チキンカレー。そう、最近はお店のカレーを以前にくらべるとずいぶんと認められるようになってきて、ふつうにカレーを外食するようになったのである。
ゆっくり、よく噛んで、味わって、丁寧に食べた。これはずいぶんと前からの心がけで、というか、料理学校に入ってからの一番の収穫は、食事を丁寧に、かつ美しく食べようという心がけが身についた(と言っても教わったわけではなく自主的にだが)ということに尽きるような気がする。
お腹が満たされたところで店を出た。新宿駅は馬鹿みたいに広い。小田急線から都営新宿線に乗り換えるのに、ぼくの足で5分程度、ふつうの人ならおそらく10分程度の距離を歩かねばならない。
満腹感とともに歩いていると、背筋から大腿部にかけてを、もぞっと、うすく寒いものが走った。
おや、と一瞬思ったが、かまわず歩き続けた。
乗り換えて電車に乗る。新宿から、神保町に向かう。15分程度である。
乗ってすぐ、いつものように本を読み始めた。
すると、もぞっ、もぞもぞっと、さきほどよりもはっきりと寒いものが走った。
あれ、まさかと思ったが、いや、気のせいだと切り捨てて、活字を追い続けた。
ずん。
もぞ、の比ではない。ずん、ときた。まさか、いや、大丈夫。ぼくは疑念を振り払うように、いっそう本の内容に集中しようとした。
ずん。ずんずん。
集中しようとする。しかし、集中しようとすればするほど、文章は意味を失い、文字はばらばらになり、ただの記号の羅列、果てはインクの染みにしか見えなくなるのであった。
ずん。ずんずん。ずんずんずん。
もはや寒いものなどという曖昧な表現では済まされない、はっきりとした具体的なものが、背筋から大腿部、その中ほどを突き上げてきた。
ごごごごご。
大山が唸るようであった。ぼくは本を閉じた。かばんに収めた。
ごごごごごごごごごごご。
次は〜市ヶ谷〜市ヶ谷〜。車内にアナウンスが流れる。ぼくは目を閉じる。市ヶ谷、九段下、神保町。市ヶ谷、九段下、神保町。あと三駅。あと少し、あと少しだと思う。
ご、ごごっ、ごごご、ごごごごごごごごご。
それは強烈なボディブロー。思わず、うっ、となる。が、しかし、平静を装って、両の手を、ホテルマンのするような感じで仰々しく重ね合わせる。そうしておじぎまでもホテルマンのようにして、前かがみになった。呼吸を、ゆっくりと、深く、吸う、深く、吐く。
びー、びーびーびー、びびー、びーびーびーびーびーびーびー。
警告音が鳴り始める。我が身に抜き差しならない危機が迫っていることを、ぼくははっきりと自覚する。一刻の猶予もない。たちまち顔面が青ざめていくのが、自分を鏡で見るように感じられる。
がーびー、がーびー、がーがー、がーびー、がーびー、がーがー。
警告の音さえも割れる。ひずみ始める。顔面は蒼白である。しかし、大丈夫だ。そう念じる。ぼくは念じる。神保町の駅に降りれば、すぐ目の前に。
がーびー、がーびー、がががーびー、がががががががーびびびびびびー、がががーががががー。
警告は発せられ続ける。危機は高まり続ける。もうだめかもしれない。弱気になる。くじけそうになる。どうすることもできない。手も足も出ない。ぼくは神にすがる。すがろうとする。祈る。真剣に祈る。日頃の罪を、ありとあらゆる愚かさを、神に悔いる。
次は〜神保町〜神保町〜。
可能と不可能とが、頭の中でせめぎあう。せめぎあう。せめぎあう。すべり込む。電車がすべり込む。神保町のホームへとすべり込む。
ぼくはまさにいま開かんとするドアの前で、これまでの長く苦しい、厳しい戦いを思い返す。これでようやく終わるのだと思う。もちろんまだ油断はできない。しかしやはり、安堵の気持ちは隠せない。
ぷしゅー。華々しいエンディングにしてはいやに情けない音とともに、ドアが開く。ぼくはがっと駆け出して、しかし行先を失う。目を疑う。
ない。ないのだ。左を見て、右を見る。左右を見やる。ない。ここにあるはずのものが、ないのだ。
なぜだ。なにが起こった。いや、ちょっと待て。ぼくは、そのあるはずのものは反対のホームであったことに気付く。
ばかやろう!ぼくは自分に対する憤りを隠せない。よく考えてみろ。おまえがそれを使うのはいつだって帰り道だったじゃないか。ばかやろう!こっちのホームで一度でも使ったことがあったのか。ばかやろう!
ばかやろう!
ぼくは無我夢中で駆け出す。たしかに迷いはあったが、もう構ってはいられない。駅から会社までは走れば2、3分の距離である。ぼくはそれに、最後の望みを託して、駆ける。駆ける。
階段は二段飛ばし。その衝撃は並大抵ではない。もちろんダメージは大きいが、止むを得ない。なぜならこれは賭けだからだ。もろ刃の剣だからだ。
走る。朝もやの神保町の街を、懸命に走る。むろん、この間、絶え間なく、時間を追うごとに激しく、厳しく、突き上げてくる。警告音はもはや単なる絶叫にしか聞こえない。
会社に着く。エレベーターの昇りボタンを押す。待つ。来る。乗る。閉ボタンを押す。階数ボタンを押す。着く。駆け出す。デスクに荷物を置く。オフィスを駆ける。駆け抜ける。ドアノブをひねる。鍵を閉める。ベルトを外す。ズボンを下ろす。座る。
その時、どこかから、おそらくは股の間から、勝利のファンファーレが聞こえた。
きのうのしごと:5時起き絵の制作7ゲーム+ランニング
きょうのしごと:6時半起き絵の制作0ゲームorz
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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