イメージの物語

  2015/07/03

朝、ごはんを食べながら中国新聞(中国地方のローカル新聞です)を読んでいると、カネボウの美白化粧品の白斑問題が載っていた。

美白を目指してせっせとホワイトニングかなんかを塗りたくった結果、まだらに白くなったというアレである。

その続報で、カネボウは性懲りもなく今年11月に後続の化粧品を新発売しようとしていたが、内部で異論があり取りやめたという話であった。世間からは非難の声が上がりそうだ、とも。

そりゃまあそうだろう。時期尚早とはこのことである。そもそも女性の美の探求心は恐ろしく、それを踏みにじられた女性の憎悪はちょっと考えるだに鬼もはだしであろう。

それはともかく、カネボウはもう復活は無理かもしれない。というか、そういえばカネボウはクラシエにブランド名を変更したのでは? まあそんなことはどうでもいいが、化粧品はとにかくイメージの商品であるから、一度地に落ちたイメージを取り戻すのは至難の技だろう。

女性が化粧品その他の装飾品を買うときというのは、単に美しくなるためだけに買うのではない。そこにナラティブ(物語)を見出しているのだ。

これを使って変化する自分、あれを身に着けて変わる毎日。それはほとんど制服の役割にも似ている。看護婦の制服を着ればそのように演じようとするし、スチュワーデスや、女子高生の制服などもまたしかりである。そこでは制服は単なるモノを越えて、自分を劇的に変化させてくれる魔法にも近い。

看護婦である自分、スチュワーデスである自分というような自己認識と同様に、アナスイの化粧品を使っている自分、メイベリンのマスカラを使っている自分、というように意識する。

とかまあ適当に書いてみたが、以上のようなことを仮定すると、イメージの力というのは半端ではないと思う。いま読んでいる「コスプレ-なぜ日本人は制服が好きなのか (祥伝社新書128) 三田村 蕗子」に興味深い記述があった。

各ブランドの化粧品の販売員のコスチュームについてである。

たとえばcliniqueの販売員は、白衣のような制服を着用している。雰囲気はほぼ看護婦である。そのような販売員のほどこす化粧や説明は、治療のような感じを与える。つまり気にしている部分を治癒し、美しさをケアするというような医療行為的なイメージを与えているのである。

一方、m.a.cやanasuiなどは、黒づくめの制服を着用している。それは職人をイメージさせる。豊富な経験、揺るぎない技術。どんな人にも正確で的確なメイクをほどこしてしてくれそうなイメージである。

現代はどんな業界でもコモディティ化(製造メーカーや販社ごとの機能・品質などの差・違いが不明瞭化したり、あるいは均質化すること)という問題をかかえている。

だからずば抜けた技術や製品以外で消費者にアピールするにはイメージしかないのである。

ブランドはイメージの最たるものである。電化製品でも、同じ値段で似たような製品があり、そのブランドがLGとPanasonicの製品だったとすると、別にスペックをよく見るわけでもないがとりあえずPanasonicを選んでしまうだろう。

化粧品も同じである。もちろん肌につけるものなので、ブランド以前に体質に合う合わないという問題はあるだろうが(妹はcliniqueは合わないと言っておりました)、それでもまず手に取る動機のほとんどはイメージである。

ブランドにとって、イメージはなによりの武器である。その武器を失ったのがカネボウである。周りはナイフどころか機関銃やミサイルを駆使して戦っているのに、いまのカネボウは丸腰でしかない。

丸腰で最前線に突撃するのは日本のお家芸であるが、しかしいまはそんな時代でもないだろう。ここはおとなしく、世間の忘却を待って昼寝でもするのが得策というものではなかろうか。

まあしかし、ネットの世界はいつまでも決して忘れてくれないのが現代の世知辛いところである。

新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

ご支援のお願い

もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。

Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com

Amazonほしい物リストで支援する

PayPalで支援する(手数料の関係で300円~)

     

ブログ一覧

  • ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」

    2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。

  • 英語日記ブログ「Really Diary」

    2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。

  • 音声ブログ「まだ、死んでない。」

    2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。

  • 読書記録

    2011年より開始。過去十年以上、幅広いジャンルの書籍を年間100冊以上読んでおり、読書家であることをアピールするために記録している。各記事は、自分のための備忘録程度の薄い内容。WEB関連の読書は合同会社シンタクのブログで記録中。

  関連記事

凡庸な日々に捧ぐ

2014/01/13   エッセイ, 日常

ぼくの人生というものが、うまくいっているような気もするし、そうでもないような気も ...

盗難と言えば学校、学校といえば若者、若者といえば馬鹿者

2012/12/18   エッセイ, 日常

本日の画像、すこし前に学校のロッカーにて、クラスメイトが発見し笑っていたのを横か ...

罪、因果、縁起。たかが100円、されど100円。

日常生活で人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。神様が嘘をつくことを禁じたか ...

生活の失い方と求め方

2014/01/08   エッセイ, 日常

正直、ブログを書く元気がない。全然ない。 原因は、解決してから思う存分書こうと思 ...

過去といまと未来は陸続く。

2012/03/31   エッセイ, 日常

もしかすると常識なのかもしれないのだが、いまさらながらポップアートの定義を知った ...

当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。

Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

Copyright © 2012-2024 Shintaku Tomoni. All Rights Reserved.