金環日食とマヌケといつかあの頃
2017/08/22
さて、愚か者のみなさんは金環日食を心弾ませて、はたまた興奮してご覧になったのでしょうか。
今朝は、何やらあちらこちらで日食グラスを片手に空を見上げているサラリーマン、学生、OLなどなどを見かけたのですが、むしろその光景が異様でした。
で、今日の画像はこっそり撮影した日食グラスを持てる青年。
なんか、これまた妙な感じだった。だって、日食グラスってなんだかSM女王がかける赤い羽根みたいな「フォー!」って雰囲気の例のメガネに似ているでしょう。で、そんなメガネを大のオトナが公衆の面前で恥ずかしげもなくかけていると、それはそれは一億総白痴のような異常な雰囲気を醸し出しているようにも感じられるのであった。
まあ別にそんなことはどうでもいいのだが、そんなに太陽が好きなら普段からもっと見とけよ、なんて思ってしまう。
ほんと屁理屈で嫌なやつなんだけど、次に見られるのは300年後とかって言ったって、実際のところこの毎日だって二度とはないし、そういう意味ではまったくもって奇跡な一日一日なわけでしょう。なので、そういうことを言う前に毎日をそれくらい貴重な時間なのだと肝に銘じて生きるほうが先だろうと、自分を含めて思うのだが、ってこういうことを書くと口を利いてくれる人がまたしても減ることは目に見えているが構わない。
それはさておき、金環日食に合わせていつも愛聴しているラジオではドリカムの「時間旅行」が繰り返し流されていた。というのも、その歌の歌詞の中に「〜2012年の金環食まで〜」っていうフレーズがあって、それで、なのであった。
はじめ流れてきたとき、あれ、何か聞いたことがあるぞこのメロディー、と思い、聞くうちに、あ〜〜、死ぬほど懐かしい、とノスタルジーにひたってしまった。
時間旅行は1990年発表の曲らしいのだが、ぼくはドリカムの曲を聴くと、とにかくは実家の三階の、屋根裏っぽい三角形の子供部屋を思いだす。
その時の空気をまざまざと思いだす。
その子供部屋はぼくと姉の部屋であったのだが、ぼくが小学校4年のころに建てられた当初から仕切りというものが一切なく、いわば共有のリビングのような作りであった。それでも、ぼくと姉が一緒にサンタさんにクリスマスプレゼントのお願いを書くような他愛もない年頃はよかったのだが、しかし、ぼくも姉も思春期になって必然的にプライベート空間を求めるようになり、それで父にアコーディオンカーテンの間仕切りを設置してもらった、のが、確か中学一年の頃である。
アコーディオンカーテンによって、確かに目隠しはできて、一応のプライベート空間は成立したのだが、しかしアコーディオンカーテンの上部は相変わらず筒抜けで、つまりはさえぎられたのは視線だけであり空気と音とは常に完全共有の状態なのであった。
それがぼくの青春の空間、そのすべてであった。
そういう空間で、ぼくは、ぼくの人生で一番さえない中学高校という思春期を過ごした。
その空間でしょっちゅう流れていたのがドリカムであった。それというのも姉はドリカムが大好きであった。ぼくは黒夢が狂うほど好きであった。というか「ドリカム」と「黒夢」の字面のギャップがひどい。まあそんなわけで、ぼくは必然的にドリカムをエブリデイ聞くことになり、それでぼくはほぼすべてのドリカムの曲のメロディーや歌詞を知っているのである。
失恋して部屋でひとり姉に聞こえないよう声を押し殺して泣いている時に流れてきたサンキューに涙腺を加速させたりとか、真夏にクーラーがガンガンにきいた部屋でテレビゲームに興じている時に流れてきた(ちなみにぼくは高校生の半ばまでゲームおたくであった)沈没船のモンキーガールのしっとりしたメロディーなど、いまでもドリカムを聞くと、何か煮え切らないエネルギーをかかえ持て余していた自分、思春期で、しかも姉は社交的でぼくは内向的なネクラというあまりにもかけ離れた性格から生じる、お互いに言葉にはしないがひしひしと感じられる軋轢(きっとそのころの姉は、ぼくのことをなんでこんなに気持ち悪い弟が居るのだろうと、本気で悩んでいただろうという自信がある)。そんな毎日、その空気。ドリカムの曲を聴くと、もう二度とは味わえないだろういつかのあの部屋でのなんともいえない複雑な空気が、肌にからみつくように思い出されるのである。
とりあえず世間様の感覚とは相当にずれているのだが、しいて金環日食について思うことといえば、ひさびさにドリカムの時間旅行を聞いて、2012年の金環日食ってフレーズを、雲をつかむような想像もつかないはるか遠い未来だと思って聞いていたニキビ面のあのころ、その2012年を、いまぼくは現実に生きているのだと、ほんとうにそれだけの量の時間が流れたんだと、ただただ感じ入り、恐れ入るばかりなのである。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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