にんげんの揺らぎと傾ぎ
2020/08/25
2014年も半分ほどが過ぎた。今年も私の読書に対する信仰心、すなわち「たくさん本を読む奴は偉い」という盲信は相変わらずである。
現時点での読了本は58冊と快調である。と言いたいところだが、年々、というか日ごとに1冊1冊に対する記憶度と理解度は低下の一途を辿っている気がする。
まあ、記憶も理解もできていようがいまいが、信仰心篤いぼくは、意味不明の呪文を唱えるがごとく読みまくるだけである。ちなみに、今年からは下記の読書メーターで記録中なのだが、ほとんど誰も見てくれていないと思われる、ので、見てください。そして偉いなあと思って尊敬してください。
http://book.akahoshitakuya.com/u/420815
それはともかく、ぼくは本というものに知識しか求めていないのだが、昨日は不覚にも朝っぱらから涙してしまった。【本当の戦争の話をしよう (文春文庫) ティム・オブライエン(著) 村上 春樹 (訳)】によって。
一応、短編集ということになっているらしいが、全体でひとつのまとまりとして構成されている。また、ティム・オブライエンという人はベトナム戦争に歩兵として従軍しており、フィクションとはいえ、かなり実体験に基づいているようである。
まあ、実話にしろ虚構にしろ、そもそものティム・オブライエンの表現がすばらしい。くわえて、村上春樹の訳もまた秀逸である。ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)の訳も実によかった。彼の翻訳は、もともと日本語で書かれた文章であるかのように、まったく訳されているという感じがしない。
それはさておき、本書の中の一編、「レイニー河で」の深さといったら、なかった。アメリカがベトナム戦争をしている時代、まだ20歳そこらの若者のもとに、ある日、徴兵の手紙が届く。若者は悩み、葛藤する。戦争に行くか、すべてを捨ててカナダに逃げるか、どうか。考えた挙句、両親に置き手紙を残し、カナダとの国境付近まで逃げる。そこで恐ろしく寡黙な、しかし偉大な老人と出会う。
センチメンタルな表現はごく控えめで、淡々と語られる、リアルなどこにでもいる若者の等身大の胸中の逡巡。そして彼の懊悩をすべて分かっているのだろう老人と過ごす時間とそのやり取り。結局、彼は両親も含めた世間への”体面”のために戦争に行くことを決意するのだが、それは決意というよりは自らの選択を無理やりに信じて貫こうとする、特攻隊にも通ずるどうしようもない悲壮感があった。
それこそぼくのような人間でさえも、率直に「なんで戦争なんかするん?」と思わずにはいられなかった。しかしまた、現在の日本での生活で実感するのは難しいだろう、一種の極限状態の時にこそ、平和とか自由とか希望とかいった、平時には陳腐な言葉に成り下がる一切が、圧倒的な輝きと強度を持って立ち上がってきたりするから、つくづく人間というのは皮肉というか、業の深い、憐れな生き物だと思う。
最近、安倍政権において集団的自衛権やら徴兵だとかの議論がかまびすしいが、そもそも彼は、自らが戦争に行くつもりで議論しているのだろうかと思う。戦争について、ちょっとネットで調べれば、ありとあらゆる悲惨が嫌でも飛び込んでくる。その最悪の悲惨を、彼は自らのこととして引き受けるつもりでことを考え、ものを言っているのだろうか。
ティム・オブライエンは別の編で、戦争での兵士のパニック状態を、次のように描写している。
ぼくは政治というか時事問題には明るくないので、安倍首相および現政権について体系立てて語ることはできないが、もしも世間の趨勢が問題にしている通り、彼が戦争を可能にしようとしているのであれば、それはもう有無を言わさず断罪されるべきである。
なぜなら、そこにはとても笑えない、病的な想像力の欠如という一国一城の主としてあるまじき愚かさがあるからだ。血を流すのは見ず知らずの他人であり、自分と、自分の家族とその周辺以外の誰かしらでしかないのだと考えなければ、戦争などというものはできるものではない。
それは、個々人の歴史認識や価値観云々以前の問題である。雨は空から降ってくる、物体は上から下に落ちるというような話である。どう考えたって、それが、ふつうの感覚、当たり前の人間の感覚というものではないだろうか。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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