老人のまばたき、子供のあくび
2017/08/22
子供にとってのあくびは長いのか、短いのか。
いや、特に意味はない。
もう木曜日。先週も思った。やたらと時間が経つのが早い。早すぎるように感じられる。一生懸命生きているからだと言えば聞こえはいいが、そうでもないような気がする。
はぁ、と、なんだか溜息が出る。というか漏れる。漏れ出てくる、ので、昨日は学校が少し早く終わった、ので、また掃除当番でもなかった、ので、まっすぐ家に帰って、お弁当作りなどの家事をして、ので、それからランニングに出かけた。
風が強かった。ランニングの時にかぶっている、確か5〜6年前かもっと前かに佐賀県にあるアウトレットで買った薄汚れたBEAMSの迷彩のキャップが飛んでいきそうになる。が、飛んで行ってくれたらいい、川に流れていったらいい、とも思ったりした。
走りながらいろいろと思い返した。昨日の公衆衛生学の授業で、幼児の不慮の事故による死亡は2歳の時が一番多い、ということを教えてもらった。2歳はちょうど歩けるようになってきて、また興味関心が外界に向かい始める時期のようで、ほんのわずかでも目を離すとどこかに行ってしまうし、何をするかわからない、と。道路に飛び出したり、ベランダから転落したり、はたまた線路に入ってしまったり。確かによく聞く話ではある。そして先生曰く、病気で子供を亡くすならまだしも、そういう防ぎうる事故で子供を亡くすのは本当にもったいないことだ、とおっしゃっていた。
家に帰ってシャワーを浴びているとき、そういえば、と思い出した。
実家の近所にTさんというお宅がある。そこの一番目の子供は、何歳だったかわからないが、洗濯機の中に落ちて亡くなった。新聞にも載ったそうである。
Tさん家の一番上のお兄ちゃん(本当はその亡くなった子供が一番上だったのだが)は、ぼくのひとつ年上で、ときどきは家にも遊びにいったりしていた。名前は覚えていないが、3人兄弟だった。しかし本当は4人兄弟のはずであった。
その人の家で、スーパーファミコンのストリートファイター2をやったことを、うっすらと覚えている。しかしリビングに飾ってあった写真立てのことは、はっきりと覚えている。その人が教えてくれたのかどうかは定かではないが、とにかくはその写真立ての中には明るく笑っている赤ん坊が写っていて、それは洗濯機で亡くなった子供であった。
なんか、鮮明に思い出した。ざーざーざーとシャンプーやらリンスやらをしながら、事故が起きた時の母親の慟哭を思った。
どうしようもなく死にたくなるくらい自分を責めたろうし、親戚などには遠回しに非を責める者もあったかもしれない。近所の人たちや近しい人たちの同情や励ましは、しかし圧倒的な喪失感という巨大な穴を、まぎらわすことはおろか、いっそう虚しく、塵芥がぱらぱらと舞うようなものでしかなかっただろう。
しかしそれでも、生きていく。生きて、生活して、結果、新たな三人の子供に恵まれた。
傍から見ればそのような"結果"しか見えない。しかしそこには深遠な艱難辛苦があったはずで。
いやしかし、深遠な艱難辛苦があったはずというのも、もしかしたらぼくの思い込みかも知れず、あるいは本人たちにとってもたいしたことはなかったのかもしれない。
わからない。
そんなことはわからないが、とにかくは人の目に見えているものなんて、ほんのわずかなもので、それはきっと吐き気がするほど愛し合って穴が開くほど見つめあってベタベタしていたって、目に見えるものなど、どうしようもなくほんのわずかで、それこそ塵芥くらいのものなんだろうと思う。
でも、それでも、見つめなければ始まらないのだ。
ぼくがここにこうしていられるのも、きっと、誰かが、たくさんの誰かが、目を離さず、穴が開くほど見つめていてくれたからこそ、なのだ。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- 夏が来たから、秋が見え冬が見え春まで見え。
- 次の記事
- 原爆的な眠気に意志という竹ヤリで