土曜日の牛丼アート生活
2017/08/22
昨日は家でひとり牛丼を撮影してました。それがこの画像。
このような画像というか行為、世界の難民、慈善団体等々からおそろしい非難を浴びそうですが、このあとちゃんと食べているのであしからず。ぼくは農家出の親を持ったおかげで、食べ物を粗末にすると目が潰れるという精神が体の芯まで染み付いているのです。
だから実際のところ、このような行為に並々ならぬ罪悪感を感じる。しかし、これはいまのぼくの"アート"なので、そんな罪悪感は葬り去らねばならないのだ、って、「なあにがアートだよ、ケッ」とは言わないように。
まったく、だんだん牛丼が嫌いになってきた。
実際にこういうことをやってみて初めて気づく。容器からこのように散らかすと一瞬にして"食べ物"から"残飯"になってしまうことに。「美味しそう、いただきま〜す!」から「吐きそう、おええっ!」に、自分の感情がたちどころに変化することに。
当たり前だが物質としてはまったく同じものなのに。どうしてこうも劇的に印象というか存在理由のようなものが変わるのかと思う。
その変化の仕方は、ほとんど"鮮やか"とさえ呼べそうなもので、しかも一度残飯に化したものは、もはや食べ物には戻らない。いや、ぼくは食べてるけども、味は言わずもがな、すごく気分が悪いことだけは確かだ。
乞食は残飯を漁るというが、それはいったいどれだけ苦しい行為なのだろうと思ったりする。
人間の尊厳とか、プライドとか、そういう、人間とはいったい何か?という問題のかけらが、この食べ物と残飯の間に潜んでいるような気がする。
って、ただの牛丼だけど。とにかくやってみて思うのは、これほどに食べ物がデリケートなモチーフだとは思わなかった、ということ。
"食べ物を使って作品を作る行為"にタブーに近いものを感じたり、死とか生とか道徳とか倫理とか、ここにすべてあるような気がしたりしている。
▼人気ブログランキングに参加中です。クリックorタップでアクセスアップにご協力お願いいたします。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
ご支援のお願い
もし当ブログになんらかの価値を感じていただけましたら、以下のいずれかの方法でご支援いただけますと幸いです。
Amazonギフト券で支援する
→送信先 info@tomonishintaku.com
ブログ一覧
-
ブログ「むろん、どこにも行きたくない。」
2007年より開始。実体験に基づいたノンフィクション的なエッセイを執筆。アクセス数も途切れず年々微増。不定期更新。
-
英語日記ブログ「Really Diary」
2019年より開始。もともと英語の勉強のために始めたが、今ではすっかり純粋な日記。呆れるほど普通の内容なので、新宅に興味がない人は読んで一切おもしろくない。
-
音声ブログ「まだ、死んでない。」
2020年より開始。ロスのホームレスとのアートプロジェクトでYouTubeに動画をアップしたところ、知人にトークが面白いと言われたことをきっかけにスタート。その後、死ぬまで毎日更新することとし、コンテンツ自体を現代アートとして継続中。
- 前の記事
- アイアム、ひとりカラオケデビュー
- 次の記事
- 震災から一年の日曜日の過ごし方