脳内が停止する日

最終更新: 2017/08/22

古代、心は心臓にあると思われていた。しかし現代、心が心臓にあると考えている人はまずいないだろう。言うまでもなく心は脳にある。

こんな切り口で始めてしまったが、特に書きたいことはない。書きたいことはないが、とにかくは書かねばという勝手な義務感に急き立てられて書き始めただけである。

さて、あと二週間ちょっとで実家とはスピード離婚である。なので最近はもっぱら引越先の部屋のことばかり考えている。パソコンはどう置くか、絵はどのように描くか、ベッドは、カーテンは、云々。そんなことをとりとめもなく考えていると、あっという間に時間が過ぎる。2、3時間など軽く吹っ飛ぶ。

しかしそう考えると、ああ、ぼくはけっこう引越が好きなのだなと、改めて思う。今までの引越回数は、大学から数えて7回ほどだと思うが、確かに引越しのたび、飽きることも面倒がることもなく家具の配置や使い方についてあれこれ考えたものだ(今回の実家への引越は除く)。

それにしても、この気持ちはなんなのだろうか。自分で自分の空間を作り上げることが好きなのだろうか。すべての持ち物を、自分の思い通りに扱い、配置する。ぼくの所有物の処し方について口をはさむ者は居ない。完全な自由。

普段、それほど購買意欲の高くないぼくではあるが、引越の際は例外である。照明、棚、テーブル、馬鹿みたいにあれもこれもと食指が動く。

そのエネルギーは、たぶん、納得のいく空間を作りたいという欲望だ。ただそれだけである。いや、それほど純粋ではない。誰かが自分の部屋に訪れた際に、センスあるね的なことを思われたいからというのも相当にある。

しかし、センスのいい空間とはなんだろうかとも思う。デザイナーズの家具や照明をそろえれば、はたまたデザイナーズマンションに住めばセンスがあるということになるのだろうか。

そんなわけはない。全身ブランドもので固めた人間を想像すればすぐに分かる。

別に今日は、だれかを批判する気力もないのだが、貧弱な経済力の中で可能な限り工夫をこらす。それは、ルーチン的で非創造的な日々を送るぼくにとって、あるいは唯一創造的な行為のような気がする。

歳を重ねるほどに不純になっていくぼくにとって、部屋をどのようにするかということを考えることは、貴重な、かなり純度の高い楽しみだと思う。と、ここまで書いて、ふと一抹の虚しさが心をすり抜けていったことを告白しておく。

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新宅 睦仁/シンタクトモニの作家画像

広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。

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