誰か、自己責任で生まれてきた人はいませんか
先日、シリアでイスラム武装組織に3年以上拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放された。
喜ぶ声は少ない。自己責任論による批判ばかりが聞こえてくる。
彼らの意見を要約すれば、「おまえが勝手にやったことで、どうなろうが知るか」ということである。次いで、解放にかかった金は一生かけてきっちり払えという、ヤクザまがいの物言いである。
ここでは、ジャーナリストの意義や、安田さんの行為の是非や真偽は問わない。
ただ、私は言いたい。仮に安田さんがどんな役立たずのろくでなしだとしても、別にいいではないか。そういう人間も抱え込んで回っているのがこの世の中なのだ。
あらゆる種類の人々をどれだけ寛容に抱え込めるか、その懐の深さが、社会の成熟度というものではないか。
そこで日本はあまりにも幼稚だと思う。先の自己責任論は、極論すればバカは死ねということであろう。
しかし、そのバカにあなたがならない保証はない。安田さんは、私であり、あなたでもあるのだ。
日本国民としての義憤に見せかけて、安い鬱憤晴らしでもするように批判を重ねるこの風潮は、昨今言われる生きにくさと必ず通底する。
ほんのわずか、道をそれれば袋叩きに合うような世界が生きやすいわけがないだろう。
批判するということは、批判されるということでもある。この当然に過ぎる理を、いま一度考えた方がいい。
広島→福岡→東京→シンガポール→ロサンゼルス→現在オランダ在住の現代美術家。 美大と調理師専門学校に学んだ経験から食をテーマに作品を制作。無類の居酒屋好き。
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